ゴート語のこと【ゲルマン語最古の言語のことを知っておこう】
今からおよそ3000年から2500年ほど前にはゲルマン語は印欧語から分岐していったと想定されています。英語、ドイツ語、オランダ語といった西ゲルマン語に対して、スウェーデン語、ノルウェー語、アイスランド語、デンマーク語などの北ゲルマン語が現代ゲルマン語の主要めんばーたちです。
さて、今挙げた言語(まとめて北西ゲルマン語)以外にも、もう一つ別の派閥、東ゲルマン語というのがありました。この言語は現代語にはなく、唯一残っているのが、ゴート語という古い言語の記録です。このゴート語は北西ゲルマン語が分岐していく前のゲルマン語の特徴をよく保っており、最も古いゲルマン語の姿を今に伝える言語と言われています。この記事では、そんなゲルマン語の最古参、ゴート語の重要な特徴をまとめておきます。
音韻(特に際立った特徴)
ここでは他のゲルマン諸語からゴート語を際立たせる特徴を2つ紹介します。ゴート語には北西ゲルマン語に幅広く見られる「ロータシズム」と「ウムラウト」が見られません。
ロータシズムがない
有声音の /z/ が /r/ の発音に変化するのが「ロータシズム (rhotacism):R音化」という現象です。北西ゲルマン語では、個別的に幅広く起こりました。詳しくは以下の記事で解説しています。
この現象を考えるために、”be” にあたる動詞の過去形を比べてみます。
過去単数 | 過去複数 | |
ゴート語 | was | wēsum |
英語 | was | were |
ドイツ語 | war | waren |
英語の過去複数 were やドイツ語の過去形は <r> の文字が出てきているのに対し、ゴート語では <s> の文字を保っています。ゴート語の方がロータシズムの変化を被っていないことがわかります。逆に言うと、東ゲルマン語のゴート語とその他の北西ゲルマン語が袂を分かった後にロータシズムの変化が見られるようになったことも推測できるわけです。
ウムラウトがない
今度は母音の変化です。ゲルマン語に幅広く見られる音の変化にウムラウトというものがあります。身近なところで言うと、英語の man の複数が men になったりする現象です。ウムラウトには厳密にはいくつか種類があるのですが、ここでは最も一般的な iウムラウト(i-Umlaut)について記しておきます。(以下、単に「ウムラウト」)
ウムラウトを経験する母音は、a ,o, u の口の奥側で発音する母音です。これらの発音が、後続する -i によって口の前方で発音するように変化する現象がウムラウトです。
特にドイツ語では語形変化において広範囲に出てくる現象なので、ドイツ語学習者にはおなじみです。ゴート語にはこの現象が見られません。
英語の身近な例を使って状況を考えましょう。現代英語の seek の過去形は sought ですが、どちらかというと、過去形の sought の方がゲルマン祖語の音に近いです。seek は古い動詞活用語尾によってウムラウトを起こしています。sought → seek の音の対応が、foot → feet や tooth → teeth のような「ウムラウト複数」と同じ方向であるのに注目です。
現在形 | 過去形 | |
ゲルマン祖語 | *sokijanan | *sōhtē |
ゴート語 | sokijan | sokida |
古英語 | sēcan | sōhte |
現代英語 | seek | sought |
この表では赤字の母音がウムラウトを起こしています。ウムラウトを引き起こす犯人は母音語幹に続く <j> の文字(音)です。この /i/ に近いこの半母音が本来の o を前側に引っ張り e に変化するのです。古英語の時点でウムラウトを引き起こした犯人の -j- はすでに脱落しており、変化した幹母音だけが見えるようになっています。ゴート語ではゲルマン祖語の形を比較的よく保ち、ウムラウトも起きていないことがわかります。
- 二重子音化(gemination)
-
ゲルマン祖語の動詞語尾によく見られる -jan の語尾は、ゴート語や北ゲルマン語にはそのまま残ることもありますが、西ゲルマン語では二重子音になります。そのため -jan の語尾は古英語では二重子音化とウムラオトの両方が起きることがあります。
Gmc *satjana> OHG setzan, OE settan
cf. 古アイスランド語 setja
ここに挙げたロータシズムとウムラウトの欠如は、ゲルマン諸語の中でゴート語のみに見られる特徴です。逆に言うと、東ゲルマン語のゴート語とその他の北西ゲルマン語が袂を分かった後にロータシズムやウムラウトの変化が起きたと推測できるわけです。
形態(概略)
名詞類の格変化
ゴート語の名詞は古いゲルマン語の格変化をよく保っています。
名詞のもっともよく見られるa語幹男性名詞の例です。
dag「日」 | 単数 | 複数 |
主格 | dags | dagōs |
対格 | dag | dagans |
与格 | daga | dagam |
属格 | dagis | dagē |
次に、代名詞の格変化の例。先ほどのロータシズム <s>→<r> を考慮すると現代ドイツ語とも非常に近いのがわかるでしょう。
1人称代名詞 | 単数 | 複数 |
主格 | ik | weis |
対格 | mik | uns |
与格 | mis | uns |
属格 | meira | unsara |
また、現代ドイツ語と同じように、形容詞の格変化は「強変化」と「弱変化」の二つのパラダイムがあります。弱変化は他の印欧語からゲルマン祖語が分化した後に成立した、ゲルマン語ならではの現象です。弱変化の成立過程は、「個別化・特定化」の役割をもっていた印欧語の -n 語幹の曲用の転用です。そのため、多くの古語やドイツ語などの現代語では、定冠詞などの語が先行するときの形容詞は弱変化になります。
ゴート語の比較級語尾は、-iz-/ -oz- の語尾を形容詞に付加することで作ります。ロータシズムを考えると英語やドイツ語の -r の語尾に相当するのがわかります。現代ドイツ語で -iz- という音から比較級に変化するとき現代ドイツ語ではロータシズムとウムラウトが必ず起きるのも納得できます。英語でもこのウムラウトを残しているのは old-elder という比較変化のみです。
比較級の格変化は弱変化のみです。比較する時点で特定の個体について言及することが前提となっているからです。古英語でも形容詞比較級は弱変化しかありません。
最上級は -ist / -ōst という語尾で作ります。これは英語やドイツ語とも近い形です。最上級の格変化は強変化と弱変化どちらも見られました。古英語や現代ドイツ語も状況は同じです。古高ドイツ語では比較級・最上級ともに弱変化のみというのが一般的でした。
動詞の活用の特徴
時制や法の表し方は北西ゲルマン諸言語と同様です。ゲルマン語では印欧語の現在(未完了)語幹から動詞の「現在形」、完了語幹から「強変化過去形」を生み出しました。また、ゲルマン語の接続法(subjunctive)は印欧語の希求法(optative)に由来します。
ゴート語と他のゲルマン語との違いで顕著なのは、受動態を表す際に、総合的な表示方法が残っている点です。
印欧語の態は能動と中受動(meidopassive)という二つがありましたが、ゲルマン語では機能としての中動を廃し、能動と受動の対立のみが残りました。ゴート語では語形変化での能動・受動の対立が残っています。
niman の能動・受動
能動 nima 私は取る
受動 nimada 私は取られる
イタリック語派のラテン語と同様、現在時制のみゴート語では総合的な形式での受動表現が残っています。これはゲルマン語では古語の時点でゴート語のみに見られる特徴で、他の言語では早い段階で “be” “get” に相当する動詞と過去分詞の組み合わせによる分析的な形式での受動表現が広がっていました。ラテン語やゴート語も、過去時制では2語以上の単語の組み合わせで受動態を表します。
統語(概略)
ゴート語の語順について、詳しいことはわかっていません。これは現存するゴート語のテキストがギリシャ語からの翻訳であることがほとんどであり、そういったテキストの場合、オリジナルの語順を維持していることが多いからです。しかしそれでも少ない手がかりから想定されるのは、ゴート語では現代語に多く見られる VO ではなく、目的語が動詞に先行する OV語順が一般的であったのではないかと想定されています。
現代英語の感覚からすると、目的語が動詞に先行するのはイメージつきにくいですが、古典語では幅広く見られます。ラテン語でも一般的ですし、古くは英語もそうでした。特に従属節では(現代ドイツ語と同様)動詞が文末に後置されることも広く見られました。
古いゲルマン語の文献からもゴート語の OV語順は有力視されています。
語彙(接辞と強勢)
ゲルマン祖語と同様、ゴート語では第一音節強勢を守っています。ただ、接頭語が付く動詞は接辞ではなく動詞語幹に強勢が置かれます。英語の forgive, 現代ドイツ語の verstehen のような非分離動詞をイメージするといいでしょう。しかし、名詞の接頭辞はつねに強勢をもちます。ドイツ語では erlauben「許可する」⇔ Urlaub「休暇」といった対立にかろうじて見て取ることができますが、ゴート語では一般的でした。
印欧語の時点で、動詞につく接辞は独立性が強く、名詞に付く場合は結合性が強かったとされています。ギリシャ語でも合成動詞の加音や畳音は接辞の後の動詞本体につきます。ホメロスの時代はまだ接辞と動詞本体を分けて書くこともありました。
ゴート語もその点似たような発達を遂げています。接辞付き動詞に小辞が付く際は、接辞と動詞本体の間に入ることがありました。
eg. us-nu-gibiþ
us =英 out
nu =英 now
gibiþ =英 give
ドイツ語の分離動詞を zu不定詞にする際、前綴りと動詞本体の間に zu が入り込むのと似ています。(ただし、ドイツ語の分離動詞は一語として見ると前綴りの方に強勢がおかれます。そしてドイツ語の分離動詞は後の時代のドイツ語独自の発展です。)
しかし、本来的に接辞付き名詞は1語で、接辞付き動詞は2語の組み合わせであると意識することはゲルマン語のみならず、ギリシャ語などを考える上でも有用です。英語の REport(名詞)と rePORT(動詞)の対立も、ずいぶん間接的ではありますが、似たような意識が働いていると考えることもできます。
- 清水誠(2024)『ゲルマン諸語のしくみ』白水社
- König, Ekkehard/Auwera Johan van der (1994), “The Germanic Languages” Routledge Language Family Descriptions
- Ringe, Don (2017), “From Proto-Indo-European to Proto-Germanic”, 2nd Edition, Oxford University Press