英語にもあるよ、ウムラウト。【ウムラウト③】
ウムラウトのシリーズは今回が最終回です。今までの記事では次の点について述べてきました。
【①「ウムラウト」とは何か】
第1回では、そもそもウムラウトとはどういう現象か、ということを説明しました。母音にウムラウトが起きると発音する位置が、口の前方に移動することがポイントです。
【②「ウムラウト犯」を追え】
ドイツ語においてウムラウトを引き起こした原因を突き止めました。その上で、ドイツ語史の中でウムラウトが活躍の場を広げるようになった経緯をまとめました。
今回は、ドイツ語でなく、英語を対象にします。英語にも実は様々な場面でウムラウトが起きているのです。英単語 feet も think も、実はウムラウトが起きています。当たり前の単語がまた違って見えてくること請け合いです。
英語のウムラウトの特徴
ウムラウトはゴート語(東ゲルマン語)を除く北西ゲルマン語において幅広く観察されます。西ゲルマン語に属する英語にも、もちろんウムラウトは見られるわけです。
英語の「iウムラウト」(以下、単に「ウムラウト」)には次のような特徴があります。
- 非円唇化が起きた
- 大母音推移で長音の音が変わった
ドイツ語の<ö, ü>の文字の発音では、唇を丸める要素(円唇)があると第1回の記事で確認しました。これは、<o, u>という後ろ母音の調音点が前方に移動しながらも、唇の形(音の出口)は変わらずもとの形を保っているためです。しかし、ご存じの通り、英語には<ö, ü>で現されるような発音はありません。古英語の時代には<ü>に近い音はありましたが、それも歴史の割と早い段階で失われました。英語においては円唇が失われる非円唇化が起きたわけです。
日本語の母音は「あいうえお」の5つですが、これは実は世界の言語の中でも非常に多く観察される母音組織です。いわば、あまりこれといった特徴のない母音組織といってもいいでしょう。それに対し、ドイツ語は <ö, ü> をはじめ、日本語にない母音がいくつもあります。世界の言語を見渡したとき、ドイツ語の方がやや一般から外れた母音数の言語なのです。特に円唇の<ö, ü>は、キャラクターの強い(専門的には「有標の」)母音です。英語でこの円唇が失われたのは、そのぶん「よくある」(「無標の」)母音体系になったということで、別に不思議な現象ではありません。ゲルマン語では、イディッシュ語やルクセンブルク語でも非円唇化が起きています。
さらに、英語では近代にかけて、大母音推移という現象が起きました。これによって、英語の長母音の発音は大きく綴り字からずれてしまいました。そのため、本来音の変化であるウムラウトを表記した綴りから、発音が変わってしまった例もあり、ウムラウトをストレートに捉えることができなくなってしまったわけです。(大母音推移については、こちらの記事を参照。)
英語の foot-feet にドイツ語の Fuß-Füße ほどの発音の素直な対応が見て取れないのはこういった英語ならではの複雑な音変化が関係しているからです。
前回の記事で見たように、ドイツ語ではウムラウトが幅をきかせるようになって、名詞の複数形を表すためにどんどん使われるようになっていきました。本来ウムラウトで複数を表していなかった語もウムラウトで複数を表したりするようになったわけです。一方英語では、逆に本来ウムラウトで複数を表していた語も、footのような一部の例外を除いて、<-s>という「規則的な」複数語尾に合流していきました。ドイツ語と違って、英語のウムラウトは繁栄よりも衰退の道を選んだと考えてもいいでしょう。
英語で観察されるウムラウト
英語では、先述の通り、ウムラウトから円唇がなくなりました。そのため、本来の変化は、
[a] → [e]
[o] → [e]
[u] → [i]
という変化になります。[a]→[e]はドイツ語と同じで、[o,u]はドイツ語から円唇が解除されたと考えるとわかりやすいです。ここでは便宜上長短の区別をごまかしております。古英語の時点では [i] の円唇母音である<y>(現代ドイツ語の<ü>)もありましたが、次第に<i>に合流していきました。
注意したいのは、英語においては、近代英語以降、「綴りは固定」「発音は変化」という方向で変わっていきます。そのため実際の発音からウムラウトの過程を思い描くことが難しくなっています。英語を考える際は、「綴り」と「発音」という二つの軸から考える必要があります。
そんな英語においても、複数形、派生形、文法的機能をウムラウトで表している場面は実はたくさんあります。以下はその例です。意外なところに発見があるのではないでしょうか。
ウムラウトする前 | ウムラウトした形 |
複数形のマークとして | |
man | men |
woman | women |
mouse | mice |
louse しらみ | lice |
foot | feet |
tooth | teeth |
goose 雁 | geese |
形容詞の名詞形 | |
long | length |
strong | strength |
foul | filthy 汚い |
hot | heat |
比較級 | |
old | elder |
最上級 | |
old | eldest |
[be]fore 前の | first 一番前の>最初の |
動詞化 | |
blood | bleed |
brood 雛, 腹の子 | breed |
doom 運命 | deem 考える |
food | feed |
full | fill |
gold | gild 金メッキする |
loan | lend |
loft | lift |
sale | sell |
tale | tell |
名詞化 | |
see | sight |
動詞の原形 | |
bought | buy |
brought | bring |
sought | seek |
taught | teach |
thought | think |
- mouse-mice の関係
-
mouse-mice の対応は、大母音推移の結果、かなりもとのウムラウトが見えにくくなってしまいました。古英語形は mu:s-my:s (<:>は長母音を表す)で、発音はそれぞれ「ムース」「ミュース」のように読んでいました。/u:/→/y:/ となっているので、現代ドイツ語の Bruder-Brüder(兄弟)のようなウムラウトによる複数だったわけです。
古英語の <u:> /u:/ は、綴りはフランス語式の <ou> となり、発音は大母音推移で /au/ という二重母音になりました。古英語の複数形にある <y:> は非円唇化で <i:> となり、大母音推移で /ai/ となりました。
とにかく、英語においては発音と綴りをしっかり分けて考えることが重要なのです。
- 弱変化動詞は原形がウムラウト形
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表の最後のグループの動詞はゲルマン語の弱変化動詞に由来します。弱変化動詞とは、印欧語がゲルマン語に分化した後に、他の品詞から派生させたりしてできた動詞群です。この語尾語尾は典型的には<-jan>という語尾で/i,j/の音を含んでいました。そのため、原形においてウムラウトが起きています。full→fill のように動詞化したときにウムラウトが起きているのも同じ語尾の仕業です。つまり、過去形の sought や thought の方がゲルマン祖語の本来の音に近い音を保っているわけです。この点については、次の動画で詳しく解説しています。
英語のウムラウト史
前回の記事では、ドイツ語におけるウムラウトの歴史を解説しました。ドイツ語のウムラウト史は、いわばウムラウトの発展の歴史と見ることができます。一方、英語のウムラウトの歴史はどちらかというとウムラウトの衰退の歴史と考えることができます。実際、一般の英語学習で「ウムラウト」なんて用語が使われるような場面はないと思います。
英語史において、古英語の時代にはすでに<o>のウムラウトは<e>で表されていたので、円唇化は起こっていません。
ゲルマン祖語の *-iz の語尾がウムラウトを引き起こし、古英語で fe:t という複数形になっています。ウムラウトを引き起こした *-iz の語尾は古英語の段階ですでに失われていました。発音上は、単数「フォート」複数「フェート」のように読んでいました。中英語では長母音を表すため、母音を重ね、<foot>, <feet> のような現在と同じ綴りが生まれていきます。ここまでがウムラウトによる変化です。これ以降、近代の大母音推移により、「フォート」が「フート」に、「フェート」は「フィート」のようになります。さらに単数形だけ短母音化がおこって「フット」のような現在の発音になりました。
現代英語では綴り上はウムラウトが観察されますが、発音上はその関係が見えにくくなっているという場面がほとんどです。これは近代以降に起きた様々な音の変化が原因というわけです。だから英語においてウムラウトを統一的に説明するのは難しいですし、数もそれほど多くないのであまり学習上の効果はないわけです。
英語の歴史はウムラウト衰退の歴史と言ってもいい例をもう一つ挙げておきましょう。現代語 book の複数は今でこそ books ですが、かつては違いました。実は古英語では bo:c「ボーク」のような単数形で、これは先ほどの fo:t と同じ変化です。そのため複数形は be:c「ベーチ」となっていました。しかし、こちらの方は <-s> という「規則的な」複数形に合流していくことになりました。ドイツ語の「本」は Buch-Bücher という具合に、中性名詞となってウムラウト複数を保っています。
ドイツ語がウムラウト複数を拡大させていったのに対し、英語はウムラウト複数から<-s>複数にシフトしていったのが対照的と言えます。ちなみに、現代英語の複数語尾 <-(e)s> はゲルマン語の《a語幹》強変化名詞に由来する古英語の男性複数主格語尾 <-as> に由来します。フランス語でも複数形は <-s> の語尾で示すことが多いですが、こちらはラテン語の複数対格の語尾に由来するので英語とは関係ありません。
おわりに-「本」と「木」の話
前節で述べたように、現代語 book の複数は books となって、foot-feet関係からは外れていっきました。しかし、古英語で「本」を意味した bo:c「ボーク」の複数形 be:c「ベーチ」に由来する現代の英単語は実はあります。beech という単語ですが、見たことがあるでしょうか。
意味は「ブナの木」です。木にルーン文字を刻んでいたのが「本」の原初の姿だったことを考えると、「本」と「木」は関連しているのも納得できるのではないでしょうか。そう考えると、漢字の「本」と「木」も見た目からして明らかに関連しているので、同じような考え方だと言えます。
英語においてウムラウトは失われていった場面も多いのですが、どこかにその名残が生き残っているのが、私にとってはたまらなくオモシロいわけです。
このシリーズではウムラウトについてあれやこれやと長々書いてみました。言語学習にどれほど役に立つかはわかりませんが、新たな世界への扉を開くきっかけとなったら幸いです。
- 清水誠, 2012『ゲルマン語入門』三省堂
- 堀田隆一, 2016『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』研究社
- Hasenfratz, Robert/Jambeck, Thomas, 2011, “Reading Old English – A Primer and First Reader”, Revised Ed. West Virginia University Press