語源的綴り字:doubt の <b> は何か

imaizumisho

今回は英単語 doubt の発音しない <b> の綴り字についての話です。中学生以上を対象とした英語の綴り字の話です。

英単語にはたくさんの「発音しない文字」(黙字)が含まれます。例えば、cakeの<e>の文字は黙字です。この字は、自分は読まれない代わりに、前の母音を長音として読む働きがあり、英語圏では「マジックe」と呼ばれたりします。同様に、night の<gh>, sign の <g>などが同じく前の母音を長音として読むための黙字です。signal (sig-nal) のように音節末になると、この<g>は発音され、前の母音は短音になります。

さてさて、ここからが今回の本題です。

英語には他にもたくさんの黙字が見られます。次の単語に出てくる文字はどうでしょうか。

doubt [daut]「疑う」
debt [dét]「借金」
receipt [risíːt]「レシート」
salmon [sǽmən]「サーモン」

赤字の文字はすべて黙字で、発音されません。これだけ見ると、現代英語の綴り字にこれらの文字が存在している理由は不明です。別に dout, det, receit, samon でもよさそうなものです。

では、これらの黙字は何なのでしょうか。

ここに挙げた単語は、今でこそ英単語となっていますが、実はすべて輸入された単語です。専門的には、他言語から借りて使っている単語ということで、借用語と言います。上の4語はすべてフランス語由来の借用語です。黙字の謎を探るべく、フランス語と綴りを比べてみましょう。

現代英語フランス語
疑うdoubtdouter
借金debtdette
レシートreceiptrecette
サーモンsalmonsaumon

※現代フランス語の recette は語源的には英語の receipt と対応しているが、意味は「レシピ;収入」という意味に変化している。

いかがでしょうか。英語に見られる黙字は、元となったフランス語には見られません。ということは、この黙字はフランス語由来ではないということがわかります。それはつまり、英語はフランス語から単語を取り入れた後、「自分たちで黙字を付け加えた」ということです。では、なぜこのようなことになったのでしょうか。

この黙字が綴り字に登場し始めたのは、ちょうどヨーロッパでルネサンスが起きていた15~16世紀頃のことです。ルネサンスとは、簡単に言うと、「中世文化よりも古典古代の偉大な文化遺産に立ち返ろう」みたいな運動のことです。こうして古代の芸術や思想に回帰する一方で、人々は近代化を進めていったのです。

文献学においては、ルネサンスは、「ギリシャ・ローマ万歳!」みたいな気風がある時代でした。そしてこの時代の英語の書き手たちは、フランス語から英語に入ってきた単語を、元のラテン語の綴り字に合わせようとしたのです。(フランス語はラテン語から派生した言語ですが、英語はゲルマン語という別系統の言語であることに注意してください。)

先ほどの単語は、ラテン語では次のように綴られます。

現代英語ラテン語
疑うdoubtdubitare
借金debtdebitum
レシートreceiptrecepta
サーモンsalmonsalmonem

もうわかりますね。フランス語からさらにラテン語に遡ると、英語では黙字となった字が確かに観察されます。つまり、英語の黙字の由来は、フランス語を通り越して、さらにラテン語まで遡って付け加えられた文字ということです。これを「語源的綴り字」(etymological respelling)と言います。これらは、この時代から「書くけど発音しない文字」だったわけです。こうした文字は現代人からしたら、ほとんど恩恵のない迷惑な存在ですが、ラテン語かぶれの懐古主義が残した化石のような語源情報ということです。

実際のところ話はもう少し複雑で、ここからはもう一歩進んだ事情についてです。

近代にかけて、語源的綴り字運動は、英語に限らずフランス語でも起きておりました。「借金」の debt は、現代フランス語では dette となっていますが、ラテン語風に debte と綴った時代もあったわけです。英語が<b>をわざわざ書くようになったのはこの流れに乗ってしまったこととも無関係ではないでしょう。

興味深いのは、英語は音に忠実な表記を犠牲にしてまでも、ラテン語の文字を残すことにしたのに対し、フランス語は音の表記を優先するようになっていった点です。フランス語も英語と同様に「書くけど読まない文字」が大量にある言語として知られていますが、規則性は英語よりもしっかりしています。「謎の綴り字の豊富さ」という観点で見ると、英語の方が一枚上手であり、学習者泣かせでもあるわけです。

語源的綴り字の流れは、以前の記事で紹介した「大母音推移」が起きていた時代とも重なり合います。「大母音推移」やら「語源的綴り字」といった大きな変化や、その他あれこれの小さな変化によって、英語の綴りと発音はどんどん袂を分けることになっていきました。現代英語はヨーロッパの他の言語と比べてみても、発音と綴り字にずいぶん乖離がある言語として紹介されることも多いです。

こんな一見意味のなさそうな綴り字を、みなさんはどう思いますか。これを忌むべき敵と見るか、これを含めて今の英語を愛するか。どちらにしても、道はありました。この綴りが嫌いなら綴り字改革を唱えればよい訳ですし、好きならもっともっと語源について語ればいいわけです。実際のところ、英語において、発音に綴り字を合わせようとする綴り字改革の運動は、歴史上何度も起きていますが、実際に成功した例はほとんどありません。

英語の語源的綴り字の例をさらにいくつか紹介します。語源的綴り字の中には doubt の<b> のように「書くけど読まない」ものと、falcon の <l> のように、「書くから読むようになった」文字があります。often<t>を読むような、「書くから読む」ことを「綴り字発音」と言います。それぞれを赤と青で色分けして示します。

フランス語を取り入れた中英語と、ラテン語から語源を取り入れた現代英語の違いに注目です。

※中英語の綴りはホロビン(2017)、Crystal(2013)に拠る。

現代英語ラテン語中英語フランス語
subtlesubtilissotill, sutellsubtil*
arcticarcticusartik, artykearctique*
indict-dictareindite, enditeなし
balmbalsamumbawn, bamebaume
falconfalcofaukun, faucounfaucon
perfectperfectusperfeitparfait
faultfallitusfaut, fawtfaute
assaultassultusassaut, assawteassaut
adventureadventuraaventureaventure
adviceadvisumavisavis

*フランス語の subtil, arctique は、ラテン語の<b><c>を残した語源的綴り字が現代まで生き残っているます。英語と違い、subtil でも <b> は発音されるのに注意してください。

今回の話は以上です。次回はこの「語源的綴り字」という変化の余波について考えます。この変化の波は、全く関係ない他の単語も巻き込んで、英語の綴りをもっともっとヘンテコな感じにしてしまったという話です。私はこの語源的綴り字とその被害を余計に被った単語たちがとっても好きなのです。なぜ好きなのか、それも合わせて語りましょう。

参考文献
  • 堀田隆一 2016『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』研究社
  • 島岡茂 1993『フランス語の歴史』第4版, 大学書林
  • サイモン・ホロビン[著] 堀田隆一[訳] 2017『スペリングの英語史』早川書房
  • Crystal, David 2013, Spell it out – The Singular Story of English Spelling, profilebooks

英語史に関する本
英語の綴りと発音に関する本

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巷の英語教員・語学人間
2018-2020年にかけて存在したサイト『やるせな語学』をリニューアルして復活させました。いつまで続くやら。最近は古英語に力を入れています。言語に関する偉大な研究財産を、実際の学習者へとつなぐ架け橋になりたいと思っています。
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