「ウムラウト犯」を追え【ウムラウト②】

imaizumisho

前回の記事では、そもそも言語を発音する上で前提となる「母音の調音点」を解説し、ドイツ語のウムラウトとはどういう現象なのかを解説しました。このように、言語の「音」や発語法そのものを研究する分野のことを音声学と呼びます。

今回は、その内容を前提としつつ、そもそも「なぜ、ウムラウトが起きるのか」を考えます。この現象には、実は犯人がいたのです。一体どこのどいつがウムラウトなんて現象を引き起こしたのか。これがわかると言語の世界はまた一回りおもしろくなっていきます。

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Something Did Cause It.

音変化に犯人を追え

ウムラウトとは、本来的に音変化のプロセスを指した名称でした。言語の発音はそもそも変わるものです。鼻が詰まったり口内炎ができたりすると、母音の響きはかわります。日本語の「あ・い・う・え・お」の5母音組織も、実は長い時間をかけて変化して今の形になったとされています。

音が変わるとき、そこには何らかの「犯人」がいるものです。音変化を考えるには、文法的要素や社会的要素も考える必要がありますが、やはり「音」を変えるのは別の「音」という場合が非常に多いです。音の変化の犯人を突き止めるには、前後の音に注目するのが捜査の基本になるわけです。

さて、ウムラウトとは「口の後方で発する母音が、口の前方に調音点を移動する」現象でした。

ということは、この犯人は…? と考えていくわけです。勘のいい人は、この時点で大体犯人の目星がつくものです。

ここからは、発音実験をしながら捜査を進めていきましょう。

発音実験1

「かき」とゆっくり言ってみてください。このとき、[k-a-k-i] とそれぞれの子音と母音がどのように発音されているかに注目してください。

2度出てくる /k/ の音に注目です。ka の /k/ と ki の /k/ は、果たして本当に同じ位置で発音される同じ音でしょうか。

発音実験2

「あがる」と「あびる」と発語してください。

それぞれ最初の /a/ の母音に注目です。果たしてこれらの母音は全く同じ音でしょうか。よ~く観察してみると、口の開き具合(開口度)に差が見られないでしょうか。

実験1の結果:
[k-a-k-i] を発音したとき、/k/ の音が鳴っている位置(調音点)が変わっているのがわかるでしょうか。[ka] の [k] より [ki] の [k] の方が、口の前の方で発音されていませんか。

日本語において(英語やドイツ語でも)、実際上これらを区別する必要はないため、通常は同じ /k/ という発音記号で表されます。厳密に区別する場合は、[ka] に対し、[kji] のように、小さい “j” をつけて発音が変化していることを表します。

口の前方で発音する「い」の母音によって、[k] の音が前に引き寄せられるのです。このように /i/ に引っ張られるように前の子音の調音点が移動する現象を、専門的には「口蓋化」と呼びます。口蓋化によって口の奥(軟口蓋)で本来発音する /k/ が、すこし前の方(硬口蓋)に移動するのです。カ行の「かき」[ka-ki] では、一応同じ /k/ で表されますが、タ行の「たち」(ta-chi) やサ行の「さし」(sa-shi) のように、ローマ字表記でも違う文字を使うぐらい、音がはっきりと異なります。

ひらがな
ローマ字
(ヘボン式)
発音
か きka kika ki
た ちta chita ʧi
さ しsa shisa ʃi

実験②の考察:
こちらの実験は、さらに微妙な差異になりますので、難しいかもしれません。「あがる」と「あびる」 を発音するとき、最初の /a/ に最新の注意を払ってみてください。よくわからない場合は、何度か連続で交互に発音してみてください。「あがる」よりも「あびる」の方で、口の開き具合が少しだけ小さくなっているような気がしませんか。

これらの実験からわかることは以下です。

まず、/i/ の母音は、口の一番前方で発音する母音で、ある意味、口を狭めて「きつく」発音することになります。この音は、しばし、前後の音にも影響を与え、自分に向かって引き寄せる力を持っているのです。「か」の [k] より、「き」の [k] は [i] に引っ張られて前方に移動しました。そして、「あびる」と言ったとき、最初の [a] は次の母音 [i] を発音する準備に入るように、口を狭くして発音される傾向があることを確認しました。

つまり、この実験では、[i] が音変化の犯人だったというわけです。

2
Who Caused Umlaut?

ウムラウト犯確保

前節の「あびる」で起きたわずかな変化は、ドイツ語においては、よりはっきりとわかる形で起きました。それこそがウムラウトです。

前回の記事で、「ウムラウトとは口の後ろで発音する母音が、口の前方で発音するように移動する」現象であると述べました。

これを引き起こした犯人は /i/ の母音だったわけです。後ろに /i/ があると、それを発音する前から口が「/i/を発音したい口」になってしまい、先行する後母音がウムラウトを起こしました。これがウムラウトという音変化の過程です。

現代ドイツ語での例を見てみましょう。

Koch 料理人(男性)
Köchin 料理人(女性)

Kraft 力
Krächitig 強力な

※金子(2023: 67)より引用

これらの例では、<i> を含む派生語尾を付けた結果、ウムラウトが起きているのが確認できます。

3
That is an Assimilation

それは母音の同化現象

ウムラウトの犯人が特定できたところで、ウムラウトの音声学的説明をしておきます。そもそも、ウムラウトとは、一種の母音の同化現象(assimilation)です。ドイツ語で “Umlaut”、英語ではドイツ語を借りて “umlaut” と呼ぶか、“mutation”(変音) と言うことが多いです。日本語ではもっぱらドイツ語をそのまま取って「ウムラウト」と呼びます。

前節で見たように、後ろから前に影響を与えるので、同化の中でも逆行同化(regressive assimilation)に分類されます。ゲルマン語やミクロネシア言語にはっきりとした形で観察されますが、先ほどの「あびる」の例のように、実は多くの言語が経験しています。

前から後ろに影響を与える同化現象もありまして、そちらは順行同化(progressive assimilation)に分類されます。母音の順行同化は母音調和(vowel harmony)と呼ばれ、トルコ語やフィンランド語などに典型的に見られます。

ウムラウトを引き起こす「犯人」の母音は実はいくつかあります。前節で見たウムラウトは、後続の[i]によって引き起こされていたので、それを明示的に呼ぶ場合は「iウムラウト」(i-Umlaut / i-mutation)と呼びます。単に「ウムラウト」と言うと、通常これを指します。

他に [a] に同化する「aウムラウト」や [u] に同化する「uウムラウト」もゲルマン語に見られます。ドイツ語の <ä> や <ü> は「iウムラウト」を受けた「被害者」であって、「犯人」は [i] です。「aウムラウト」では、[a] が犯人、「uウムラウト」では [u] が犯人であることに注意してください。

ドイツ語を勉強している人は、Mann-Männer「男」(単数-複数)のように後ろに綴り上 <i> が出てこなくてもウムラウトが起きている場面に何度も遭遇したことがあるはずです。これにも事情があります。そこで次節では、ドイツ語の文法・語彙のあらゆる場面でウムラウトが登場するようになった背景を歴史的に探っていきます。

4
This is How Umlaut Has Prevailed in German

ウムラウト史

ドイツ語におけるウムラウトの歴史は、まさにウムラウトの勢力拡大の歴史と言ってもいいかもしれません。言語変化の片隅で起きた小さな音変化だったウムラウトが、文法のあらゆる場面で活躍するようになった歴史をたどっていきます。

ゲルマン語に属する言語のうち、東ゲルマン語のゴート語以外のすべての言語でウムラウトは起きています。ゲルマン語の分岐の仕方は主に次のようなものとされています。

文献が残るゴート語にはウムラウトが観察されないことから、北西ゲルマン語期の後半にウムラウトが起き始めているのがわかります。といっても、ウムラウトが発展していくのは個別の言語が独立してからです。(ゴート語について、詳しくはこちらの記事で。)

個別言語として、現代の標準的なドイツ語に連なるドイツ語の歴史を大まかに分けると次のようになります。

古高ドイツ語 750年-

中高ドイツ語 1050年-

初期新高ドイツ語 1350年-

新高ドイツ語 1650年-

現代ドイツ語 20世紀以降

各時代の言語の特徴はまた別の記事で紹介します。今回は「iウムラウト」(以下、単にウムラウト)にしぼって話をしていきましょう。

ウムラウトの発音上の発達段階は主に次のような過程を経ました。

第1段階(古高ドイツ語期)
第1次ウムラウト

[a]の短母音が後続する[i/j]に影響を受けて短母音の[e]になる。これを「第1ウムラウト」と呼ぶ。母音の図で言うと斜め上への移動となる。

gast → gesti
(Gast → Gäste)

lamb → lembir
(Lamm → Lämmer)

( )は対応する現代ドイツ語

Q
阻害が起きた状況

この時期のウムラウトは、母音に <hC> <lC> (Cは任意の子音) が後続すると阻害されました。しかし、古高ドイツ語期の後半以降、この阻害も起きなくなり、ウムラウトは広がっていきます。

第2段階(中高ドイツ語期)
第2次ウムラウト①

[a]の長母音にもウムラウトが起きる。中高ドイツ語期以降は、語尾変化が少なくなっていき(屈折語尾の水平化)、ウムラウトの「犯人」だった [i] が綴り字から消えていきます。

古高ド mâri → 中高ド mære
(現代語 Mär)

第3段階(中高ドイツ語期以降)
第2次ウムラウト②

[a] 以外の後ろ母音 [o] [u] にも短母音・長母音ウムラウトが広がる。水平方向の母音の移動と見ることができる。

古高ドイツ語→現代語

skôni → schön
kuchina → Küche
stucki → Stück

中高ドイツ語以降の段階で、現代語のウムラウトの母音がすべて出そろうことになります。一方、この時期のドイツ語は複雑な語尾変化をどんどん失っていきます。そうすると、ウムラウトした母音が今度は独立した音素として認識されるようになります。いわば、本来は[i]という「犯人」が現れたときだけの「被害者としての音」だったのが、「犯人」はいつのまにかいなくなり、言語を構成するレギュラーメンバーとして定着したわけです。

母音字の上に点を付ける、現代の<Ä, Ö, Ü>という母音字が確立したのは近代以降です。こちらの方が、<A→E>と変えるより、<A→Ä>とするほうが、元の形からの変化だと認識しやすいので現代までに一般的になりました。古くは<A>の上に小さい<e>の文字を付けたりしていましたが、二つの点を付ける方式に最終的には落ち着きました。

こうして「音」も「文字」も装備したウムラウトは、独立して名詞の複数形を表したり、動詞を接続法第Ⅱ式にするマークとなったりして、文法的機能を担うようになっていきます。こうしてドイツ語では本来[i]が後続するときに限定的に起きたウムラウトという現象が、文法のあらゆる場面で登場するようになっていったのです。

Q
ウムラウト複数の古参と新参

現代語の Gast-Gäste(客)や、Lamm-Lämmer(羊)の複数を示すウムラウトは、古高ドイツ語 gast-gesti, lamb-lembir の例からわかるように、本来の [i] によるウムラウトによって引き起こされたウムラウト複数です。lembir の <-ir> は現代ドイツ語では <-er> の語尾になっています。現代語では少数の男性名詞と多数の中性名詞につきます。このとき、幹母音がウムラウト可能な場合は、原則としてウムラウトが起きます。本来の<-ir>が「犯人」です。これらは、いわば、本来的な「古参」のウムラウト複数と呼ぶことができます。

ウムラウトを引き起こした <ir>語尾は特に中性名詞の複数語尾として広がり、本来は単複同形だった wort のような語も、Wort-Wörter のようなウムラウト複数に合流していきました。こちらは「新参」のウムラウト複数ですね。ウムラウトが独立して複数のマークとなった証です。

英語においても、古英語では word-word と単複同形でしたが、こちらは男性名詞の一般的な複数語尾 <-as> に由来する <-s> 複数語尾に合流し、word-words という形になりました。ウムラウト複数を広げたドイツ語と、それを放棄していった英語が対照的です。

Q
その他の円唇化

ウムラウトが独立した音素として確立した新高ドイツ語以降では、本来のウムラウト犯である /i, j/ が後続しない環境でもウムラウトが起きます。そのため、これを本来の「ウムラウト」という音変化で呼んでいいのかは議論が分かれそうです。

例えば、/w/ の前後では、現代語の母音はしばしウムラウトが起きます。これは、/w/ を発音する際、唇を使って発音するため、<e>の母音が唇を丸めるように変化したからです。これを円唇化といいます。唇を丸めない<e>が唇を丸めて<ö>になったわけです。もはや、本来の /i/によるウムラウトとは関係のない現象です。

MHG→NHG

lewe → Löwe ライオン
zwelf→Zwölf 数字の12

※<w> の発音が /w/→/v/ となったのも新高ドイツ語期にかけての変化。

Q
ドイツ文法においてウムラウトが起こる場面

ドイツ語でウムラウトを目にする場面を簡単に紹介しておきます。今回は発音の話がメインですので、文法的な語形変化は詳しく扱いませんが、だいたいどんな使われ方なのかイメージできるように紹介しておきます。

①そもそもウムラウトがついている。
現代語では、原形の時点で Käse(チーズ)のようにウムラウトがついた単語もたくさんあります。歴史を振り返ると、語尾に <i> の綴り字があった場合も多いです(Käseはその例)。とはいっても、一般の学習者も母語話者もそもそもウムラウトが付いた単語として最初から覚えます。

②語形変化の結果ウムラウトが起きる。
ドイツ語は何かと語形変化が多いのですが、そこでウムラウトが起きる場面があります。具体的には次のような場面です。

  • 名詞の複数形をつくる
  • 品詞を派生させる
  • 一部の動詞の人称変化に現れる
  • 形容詞の比較級・最上級をつくる
  • 動詞を接続法にする

このように、名詞・形容詞・動詞の様々な変化をウムラウトが表現するのがドイツ語の特徴と言えます。変化のパターンをつかめると、一見ばらばらな変化が実は同じような考え方で起きているのがわかるものです。ドイツ語学習は楽しくなっていきます。

5
Conclusion

まとめと次回予告

今回は、現代ドイツ語ウムラウトを引き起こした「犯人」を突き止めことにスタートし、ドイツ語のウムラウトの発展史を考えました。

ウムラウトのシリーズは次回が最終回です。英語もドイツ語とともに西ゲルマン語のメンバーであるため、ウムラウトは様々な場面で起きています。次回は、英語においてウムラウトが見られる場面を考えます。ドイツ語がわかった上で英語の foot-feet を見ると、何だかはっとする経験が私にもありました。そんな話です。

参考文献
  • Salmons, Joseph, 2012, “A History of German”, 2nd Ed. Oxford University Press
  • 金子哲太, 2023『ドイツ語古典文法入門』白水社
  • 清水誠, 2012『ゲルマン語入門』三省堂
  • 清水誠, 2024『ゲルマン諸語のしくみ』白水社
  • 須澤通/井出万秀, 2009『ドイツ語史 社会・文化・メディアを背景として』郁文堂

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