「ウムラウト」となにか。【ウムラウト①】
以前、お笑い芸人の《おだうえだ》さんの漫才をライブで見る機会がありました。その漫才の中で、彼女たちは「あたし、『オ』の口をしたまま『エ』て言えんねん」といったやりとりをしておりました。私はそれを見て、「いやそりゃ、ウムラウトじゃねえか」と心の中で突っ込んだわけです。
さて、言語学習の時間です。ドイツ語を勉強し始めると、最初の段階で、A, O, U の文字の上に点がついた、Ä, Ö, Ü (ä, ö, ü)なんて文字に出会います。この人たちは「ウムラウト」と呼ばれていて、なんだか可愛らしい特殊文字として外国語情緒を駆り立てること請け合いです。しかし、ひとたび発音を身につけたり、文法の語形変化を覚える段になって、なんだかよくわからない鬱陶しい天敵に思えたりした人も多いのではないでしょうか。
発音にしても、語形変化にしても、「ウムラウト」を味方にするには、そもそもこれが何なのかを知ることが近道です。言語は根本のしくみを理解すると、ちょっとだけすっきりとした世界が広がっていくものです。
今回からの記事では、「ウムラウト」についてとことん解説していこうと思います。まず第1回のこの記事では、現代ドイツ語におけるウムラウトの考え方を説明します。第2回では、ドイツ語のウムラウトがいかにして現在の姿になったかを考えます。最後の第3回では、英語にも随所にこの「ウムラウト」的な現象が見られることを確認していきます。英語学習者もウムラウトについて知ると、中学校で習うような現象もまた新たな姿で浮かび上がってくるはずです。
ウムラウトとはどんな現象か
ドイツ語学習者にとって、「ウムラウト」とは、文字の名前のように思えるかもしれませんが、本来は、これらは音変化のプロセスのことです。Umlaut はドイツ語で「音の転換」を表します。
Umlaut 音を転換すること
< Um 転換 Laut 音
では、ここで問題です。ドイツ語において、ウムラウトがつくと、どんな音がどのように変化するでしょうか。
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答えは、「口の中の後ろの方で発音する母音が、前の方で発音するように音を変える」です。
これでわかる人は、音声学のセンスがずば抜けた人ですね。そんな人は次のエクササイズ部分は読み飛ばしてもかまいません。
いあいあえおえおエクササイズ
「口の前とか後ろとかってどういうことなのよん」と思った人のために、簡単なエクササイズをやってみましょう。実際に口を動かしながら母音の発音を確認してみてください。
まず、「い」と「あ」を何度も交互に言ってみてください。
いあいあいあいあいあ…
口全体の動きに注意を向けてください。「い」のときに、口が狭まり、「あ」のときに口が開いているのがわかるでしょうか。もっと注意してみると、「い」の母音は、舌が高い位置にあり、上の前方にて発音されているのに対し、「あ」はもう少し下の少し後ろ側で発音されているのが感じ取れるはずです。母音には「上下」があるのを体感してください。
では次です。「え」と「お」を何度も交互に言ってみてください。
えおえおえおえおえおえお…
「え」の方が、口の前側で発音され、「お」はやや後ろ側であることがわかるでしょう。このように、母音には「前後」もあるのです。さらに「えおえお」運動の時に、唇の動き方に注目してください。「お」のときに唇がやや丸まっているのがわかるでしょうか。唇の丸めがあるかないかも、母音の重要な指標です。
以上の「いあいあえおえお」エクササイズから、次のことがわかりました。
- 母音には口の上で発音するものと下で発音するものがある。
- 母音には口の前で発音するものと後ろで発音するものがある。
- 母音には唇を丸めるものと丸めないものがある。
人体や自動車に上下や前後があり、母音にも上下・前後があるというのは、音の変化を考える上で、最重要の前提知識です。さらに、音を発する出口として唇の役割もはずせません。「あ」から唇を動かさずに「お」と言おうとしても、できないはずです。「お」では唇の丸め(専門的には「円唇」)が起きているとわかっておくことも重要です。
この3つの尺度をしっかりと体感しておくことが、「ウムラウト」を理解するための最も基本的な前提となります。
母音の地図を描く
人間が何らかの音を発する位置は、音ごとに実は決まっています。専門的にはこれを調音点と言います。母音におけるこの調音点は、口の中で上下・前後方向に移動するので、便宜上、2次元空間上にこれを位置づけるのが通例です。こうして口の中の位置を「母音三角形」(といいながら実際には台形のことが多い)で表すわけです。
このサイトでは、専門的図形を使わず、こんな感じの「口あき人間」を使って母音の調音点を説明します。その名も「母音調音点解説マン」です。
この図には、ドイツ語の短母音の文字を大文字で、発音記号を赤字で書いています。見ての通り、上下で言うと、I→E→Aの順に低くなり、A→O→Uの順にまた高くなります。前後で言うと、I→E→A→O→U の順で後ろに下がっていきます。OとUは唇を丸める母音です。日本語と違い、ドイツ語のUでは唇を丸め、さらに唇を突き出すようにして発音します。日本語の「ウ」よりもずいぶん深い位置で音が鳴ることに気をつけてください。
いずれも、「上下・前後・唇丸め」の度合いから母音を考えておくことが最重要です。
ウムラウトしていきます
それでは、この節の最初の問いの答えに戻ります。ウムラウトとは、「口の後ろの方で発音する母音が前の方に移動する」という音の変化を表すのでした。
ということは、ウムラウトがあるのは、<A, O, U>という、口の後ろ側で発音する母音です。これらの調音点が前に移動していきます。個別に見ていきましょう。
<A>の文字にウムラウトがつくと、<E>の短母音と同じ位置まで調音点が斜め前に移動します。発音としては、<E>の短母音 /ɛ/ と同じ音になります。
ドイツ語の <E>は長母音になると、/e:/ となり、短母音 /ɛ/ よりも /i:/ に近い音になります。この違いも重要です。
一方、<Ä> は短母音で/ɛ/、長母音で /ɛ:/ となり、音の長さだけが変わり、音質は変わりません。(ただし、これには地域差・個人差が大きいです。)
<A>→<Ä>の変化は「斜め上」への変化でしたが、残る二文字は水平方向への変化です。
<O>はドイツ語では口を突き出すようにして発音します。イメージとしてはタマゴを横に口の中に含んでいるような感じで、唇を丸め、タマゴの奥側で調音している感じです。これができていないとそもそもウムラウトはできません。
<Ö>になると、口の形は変えず、舌の位置だけ移動させつつ、調音点を前に持って行きます。タマゴの先端あたりに音を追い込むイメージをもってください。こればかりは動画の方がわかりやすいと思いますので、よくわからない方はそちらで確認してください。
唇の丸めを失わないことを意識してください。曖昧な音ではないので、はっきりと口の形を決めて発音します。厳密には長短で口の開口度を区別するのですが、よっぽどこだわらない限り、実際上、有意な差はありません。自分で録音してみて、どちらかというと「え」に聞こえるなら改善の余地があります。
<U>を発音するときは、唇を<O>のときよりさらに突き出します。タマゴ→「ちくわ」に変化した感じです。唇の丸めを失わないでください。日本語の「う」とは違う、深い音になるはずです。
<Ü>になると、口にくわえた「ちくわ」の奥から調音点を前に移動します。口の形はかえず、舌の位置だけ前方に移動し、ちくわの先端に音を追い込んでいく感じです。
日本語で「ゆ」と言ったり、英語で “you” というときの、最初の瞬間の音を、ずっと保つような感じの音になります。ちなみに、日本語の「う」はドイツ語の <U> よりも前で発語するので、日本語話者がドイツ語を読むと、<U> のつもりでも <Ü> 寄りに聞こえてしまうことがよくあります。
以上がウムラウトの音変化のあらましです。特にÖとÜは説明だけではわかりにくいところも多いと思うので、動画を見つつ、具体的に声を発しながら音の感じを掴んでください。
最初に述べたように、現在では、「ウムラウト」とは文字名や文字を変える操作を表しますが、本来的には音変化のプロセスのことです。
今回の記事は、ここまでです。
ここからは次回予告です。この「ウムラウト」という現象には、音変化を引き起こした犯人がいます。実はその犯人は今回の記事ですでに登場しています。いったい誰が犯人なのか、予想してみてください。というわけで、次回の記事ではこの変化がどのように起きたか、「ウムラウトを起こした犯人」を突き止め、現代ドイツ語でここまで「ウムラウト」が活躍するようになった経緯をたどっていきます。
今回の記事は学術的な話題にはあまり踏み込まず、ドイツ語の入門書にあるような説明を私なりに詳しく再構成したものになっています。特段、参考文献としてあげるものはありません。おすすめの語学書・言語関係の書籍はリンク先の本です。
もし自分でドイツ語の発音を勉強するなら、母音の長短をしっかりと区別して説明しているような教材を使うことをおすすめします。実際ドイツ語の長母音と短母音の区別は重要なのですが、案外しっかりと整理されていない教材も多い印象です。やるせな語学による各分野の推薦図書は下記リンクからご覧ください。