英語本来の動詞の種類を知っておこう【ゲルマン語の動詞について】
今回は、ゲルマン語の動詞の形態についてやや専門的な内容を紹介します。英語やドイツ語に代表されるゲルマン語には、元来「過去」と「現在(非過去)」の時制の対立が見られました。私たちが英語を学習するとき、まず、現在形の動詞を習い、その後 -ed をつける過去形、さらに不規則といわれる過去形を勉強します。そういった動詞の形はどのような言語事情に由来するのか、遙か遠い時代の言語からの流れに目を向けてみましょう。当たり前に見える「いま」の言語の姿がまた面白く見えてくるはずです。
印欧語の動詞形態
現代のヨーロッパの言語の共通祖先とされる印欧語には、はっきりとした時制形式が再建されていません。印欧語では、動詞の形態は3つの異なる語幹によって3つの相(アスペクト)を表現しました。そこに語尾を付加することで別の語幹(相)に乗り入れたり、別の態・法へと転身したりしていました。語尾によっても動詞が表す時制を切り替えたとされています。
話は複雑で、理論上の再建物を想像するのは、濃い霧の中にあるかすかな言語のこだまに耳を澄ませるような作業です。本来なら研ぎ澄まされた精神力が必要なのですが、今回は話を簡単に、印欧語の3つの語幹についてのみ触れておきましょう。
印欧語の語幹3つ
① 現在語幹(未完了の動作)
動作を継続・反復的なものとして述べる(現在・過去)
② アオリスト語幹(完了の動作)
動作を一連の完結したものとして述べる(過去)
③完了語幹(静的状態)
静的な状態を述べる(現在・過去?)
現状、印欧語の3つの語幹は上記のようだったと想定されています。語幹によって、動作の捉え方(アスペクト)を表現したということです。注意すべきは、現在語幹は未完了というアスペクトを表すものであって、現在時の表現と同義ではないということです。
「毎日学校に行く」という動作の反復などは、未完了アスペクトを持つ①現在語幹に現在時を表す語尾を付加して表現していました「ボールを打った」といった過去の動作は、動作の過程を述べることなく動作を完結したものとして述べる②アオリスト語幹の主戦場です。③完了語幹が示したのは、状態です。たとえば「~を知っている」というような静的状態には完了語幹を使いました。「~した・してしまった」という感覚に近いのはむしろアオリスト語幹である点に注意です。完了の意味は現代語の完了時制とはずいぶん異なります。
時制・相以外の区別に加えて、印欧語には4つの法と2つの態の区別がありました。4つの法の中でゲルマン語に受け継がれたのは、直接法、命令法、希求法です。態に関して言うと、能動と中受動という2つの態が両方ともゲルマン祖語に受け継がれます。
印欧語の動詞の形態について、さらに詳しい議論はこちらの記事を参考にしてください。
印欧語からゲルマン語へ
印欧語の12の語派のうち、英語やドイツ語などが属するのは、ゲルマン語派と呼ばれます。印欧語から分岐していく中で、ゲルマン語は大きく動詞形態を変えていきました。ここでは、大規模な動詞パラダイムの組み替えを概観します。
印欧語の各形態は次のようにゲルマン語に受け継がれました。
印欧語 ゲルマン語
現在語幹→現在形
完了語幹→過去形(強変化)
希求法 →接続法(仮定法)
中受動態→受動態
動詞の形態変化は、印欧語から各語派に受け継がれていくにつれ、様々な変化を見せます。ゲルマン語では上記のように、印欧語の現在・完了というアスペクトの表現方法の差を「現在・過去」という2つの時制の対立形式に組み替えました。このように本来的機能を別の用途に当てはめるように変化することを、生物学の用語を借りて専門用語では外適応(exaptation; 清水 2014, p.343)と呼びます。
印欧語の希求法(optative)はゲルマン語では接続法(subjunctive)に組み替えられます。subjunctiveは日本語では「接続法」と呼ばれたり、現代英語の通例通り「仮定法」と呼ばれることもあるのでややこしいところです。
印欧語には中受動態(mediopassive)という態の表現形式が、能動態とは別に存在しました。中動態は、ある動作が自分自身に返ってくるような動作様態のことを表します。古典ギリシャ語には時制によって独立した態として残りましたが、ゲルマン語では受動態に一本化されました。さらに語形変化によって受動態を示すのは、文献が残る言語ではゴート語の現在時制のみでした。過去時制はゴート語でも複数の語で分析的に表示していました。これは、印欧語の完了形(ゲルマン語の過去形)では態の区別がそもそもなかったからとされています。
ゴート語を除く古語では、時制にかかわらず現代英語のように《be/get + 過去分詞》に相当する言い方に変化しました。動詞1語の変化で単語の役割を明示する総合的な形式から、複数の語で表示する分析的な形式への変遷の例です。
- イタリック語派では
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ラテン語に代表されるイタリック語派では、印欧語の動詞パラダイムはまた違った受け継がれ方をします。動詞の種類によって事情は異なりますが、直説法の代表的な転換例を示します。
ラテン語の直説法の時制
現在形<印欧語の現在形
完了形<印欧語の完了形未完了過去<ラテン語独自の発達
未来形<印欧語の接続法
ラテン語の時制形態でゲルマン語と大きく違うのは、語形変化によって「現在」「完了(過去)」以外にも「未完了過去」「未来」という時制の表示形式を持つことです。
ゲルマン語には元来「未来形がない」といわれますが、ラテン語やその子孫であるフランス語・イタリア語には未来形があります。ただし、現代フランス語やイタリア語の未来形はラテン語の未来形に語形的に由来するわけではありません。このように、現代語の時制形式がそのまま古典語に由来するわけではない点は注意しないといけません。とかく、動詞の形態は変化しやすく、単純な線上の変化とは言えないのです。この点については、次の記事で詳しく述べています。
英語動詞に「未来形」はあるか【②未来時制は、あります】
まず、ゲルマン語の動詞を考えていくために、ゲルマン語の動詞の分類を知っておきましょう。ゲルマン語の動詞の分類は大きく分けて次の4つです。
《ゲルマン語の動詞の種類》
①強変化動詞
②弱変化動詞
③過去現在動詞(少数)
④不規則動詞(少数)
この動詞の分類のうち、③過去現在動詞と④不規則動詞は、いわば「選ばれし」少数派の動詞です。つまり、大部分は①強変化動詞と②弱変化動詞のどちらかでした。
ゲルマン語の強変化動詞
強変化動詞は、現代英語の write-wrote のように強勢のある語幹母音を変化させて過去形を作る動詞です。現在ではもっぱら「不規則動詞」という名称で呼ばれる動詞は、多くが強変化動詞に由来します。
強変化動詞は、印欧語から連続的に連綿と受け継がれた動詞が大部分です。過去形をつくるとき、動詞語幹母音という、いわば動詞の「核」となる部分の音色を変えることで時制を切り替えるのが特徴です。パーツの付け換えではなく、本体の変質による変化という点が弱変化動詞と異なります。例を見てみましょう。ゲルマン語には過去形が2種類ありました。そのため、現代語と異なり、動詞の主要形は次の4つです。
不定詞ー第1過去/第2過去ー過去分詞
第1過去・・・主語が単数のときの過去形
第2過去・・・主語が複数のときの過去形
第1強変化「書く」※下線は長母音
writanーwrat/writonーwriten
第3強変化「助ける」
helpanーhealp/hulponーholpen
第3強変化「飲む」
drincanーdranc/drunconーdruncen
このように、強変化動詞では、幹母音(語幹の母音)を変化させることで2種類の過去形や過去分詞の語形をつくりました。このような母音交替のことをアプラウト(Ablaut)といいます。通常、アプラウトは印欧語の母音交替に由来するものを指します。
上の例のうち、太字にした部分は、現代語に受け継がれている語形です。現代語の write-wrote-written という語形変化は上記の強変化を受け継いでいるわけです。一方、「助ける」の現代語は help-helped-helped というふうに「規則的」な変化を示します。これは、古英語から時代が下るにつれ、さらに動詞の分類の組み替えが起こり、不規則なものを規則的なものに同化させるような力学がはたらいたためだと思われます。ドイツ語では今でも helfen-half-geholfen となり、母音交替による「不規則動詞」に分類されます。
ゲルマン語の強変化動詞には全部で7つの変化があり、それぞれ第1変化から第7変化まで数字で呼ぶのが慣例です。古英語を勉強する上で最も語形の暗記をするのが大変な部分ではありますが、これを避けてゲルマン語の話はできません。ゲルマン語を勉強するなら必ず覚えていないといけない事項が強変化動詞なのです。
古英語で一般的に使われていた強変化動詞はRinge(2014: p. 348)のカウントで292語とされています。そのうち約3分の1が現代までに廃語となり、3分の1が「規則的」な弱変化に組み変わり(上記のhelpが一例)、残りの3分の1が「不規則」の強変化のまま使われています(上記のwrite, drink が例)。この点については、堀田(2016: p. 72)も参照。
古英語の強変化過去分詞には、多くの現代英語不規則動詞と同じく、-en という語尾が見られます。これは印欧語で強勢のある *-no- という動詞由来の形容詞語尾に由来するとされます。
- 印欧語の直説法アオリスト語幹は消えた?
-
ゲルマン語の強変化過去は、1,3人称単数に用いられる第1過去と、その他の人称・数に用いられる第2過去がありました。一例では次のようになります。
古英語 helpan「助ける」
原形 ー第1過去/第2過去ー過去分詞
helpanー healp / hulponーholpenこのうち、第1過去は印欧語の完了語幹に由来することは確かだとされますが、第2過去の出自ははっきりとわかっていません。Ringe(2014) では、印欧語の接続法のアオリストに由来するとしており、従来の直説法アオリスト語幹に由来する考えを否定しています。
ゲルマン語の弱変化動詞
動詞は新語が生まれやすい単語です。言語学では、新しい単語を生み出す力をもつことを、生産的(productive)と呼びます。
ゲルマン祖語では、印欧語から受け継いだわけでもない単語でも動詞にして使いたいときがもちろんあります。「グーグル」から「ググる」みたいに、新しい単語をその動詞化させた場合、印欧語から引き継いだ完了語幹に由来する過去形はありません。そこで、ゲルマン語では、新たにできた動詞を強変化過去と同じ地平で扱うために、弱変化過去というものを生み出しました。それが英語だと「規則動詞」に見られる -ed の語尾です。「規則動詞」とされる -ed 型の過去形は、古語では「弱変化」と呼ばれ、これらは本来的にゲルマン語内部の発達です。他の品詞から派生させた動詞であったり、既存の動詞を組み変えて生み出された動詞は、基本的にすべて弱変化になりました。
弱変化動詞は live-lived のように、語幹に [d/t/θ] という子音を付加することで過去形を作る動詞です。現代語について語る文脈では通常「規則動詞」と呼ばれます。
弱変化に由来する現代英語「不規則動詞」
次の単語は現代英語では「不規則動詞」に分類されますが、過去形を作る際に /t, d/ の「音」を付け加えているうという点で古語の弱変化に由来するものです。これらの動詞では過去形と過去分詞が同形になります。
think-thought-thought
bring-brought-brought
buy-bought-bought
make-made-made
have-had-had
do-did は後の6節で述べるように本当の意味での「不規則な動詞」です。そのため過去形に /d/ 音が付け加えられているように見えますが、実際は違います。
この点については、次の動画で初心者から上級者向けまで、さまざまなレベルで解説しています。
先述したように、ゲルマン語では主に印欧語の現在語幹から現在形を、そして完了語幹から強変化過去形を生み出しました。弱変化の [d/t] 音を追加することによって生み出される過去形は、ゲルマン語独自の発達です。印欧語幹のうち、直接法アオリスト語幹は、ゲルマン語には受け継がれませんでした。つまり、印欧語のアスペクト形式を、ゲルマン語では2つの時制の対立に組み変えたというわけです。
そのため、本来的にはゲルマン語には「現在形」「過去形」の2つの時制形式しかありません。ドイツ語で werden + 不定詞 による表現を「未来形」などと呼ぶのは、後の時代にラテン文法に習ってドイツ語を記述した文法家によるものです。英語の will+不定詞 を「未来形」と呼ぶ習わしも、同様の経緯です。
- will を「未来形」と呼んでいい?
-
ここで述べたように、本来ゲルマン語には現在と過去という2つの時制形式があって、固有の形態としての「未来形」というものはありませんでした。これは、ラテン語が印欧語の接続法を組み替えて直説法「未来時制」という形式を発展させたのとは対照的だと言えます。そのため、「英語には未来形や未来時制はない」というのが「本来の」言語の説明としては正しいのです。実際、2024年時点で出回っている高校向けの総合英語の本で、will を「未来時制」や「未来形」と呼んでいるものは私が見た限り1冊もありません。
ただし、言語が変化して行くにつれ、歴史的な視点だけを正しさの唯一の根拠にしているのにも無理が出てくる場合があります。そのため、現在の英語教材や指導者は、人によって「未来形」という言葉を使う人と、あくまで英語に未来形はないという立場の人がどちらも存在します。歴史的に正しい(通時的な)説明を取るか、「いま」の視点から納得できる(共時的な)説明を取るかの議論は英語教育の世界でも長らく存在しました。この点について詳しくは堀田(2016, pp.84-88) を参照。
ちなみに私が英語を教えるにあたって、高校レベル以上の学習者を対象にするときは「未来時制」「未来形」という言葉は使いません。なぜなら「will は未来形」という図式で英語を見ることによるメリットが実際のところあまりないからです。ただし、これは「will=未来形」の方がわかりやすいので教える価値があるという考えを否定するものではありません。この点については、次の記事から複数回にわたって詳しく論じています。
英語動詞に「未来形」はあるか【①ゲルマン語本来の時制形式】
ゲルマン語の過去現在動詞
印欧語からゲルマン語に至るまで、15個の動詞からなる「過去現在動詞」というグループができました。過去現在動詞とは、なんだかよくわからない名前に聞こえますが、ゲルマン語の現在形が印欧語の完了形(あるいは初期ゲルマン語で生み出された過去形)に由来する動詞のことです。過去形が現在形に「昇格」した動詞と考えることもできます。
過去現在動詞には現在では「法助動詞」と呼ばれる動詞が属しています。現代英語の can, may, must などはすべてこの過去現在動詞に由来します。実際、will を除く英語の助動詞はすべてこの過去現在動詞の仲間です。(will については次節で。)
印欧語の完了形は、1節で述べたように、静的な状態を表す語形でした。この点に注意しておく必要があります。つまり、印欧語の完了形(ゲルマン語的に言うと過去形)に由来する過去現在動詞は、印欧語のときの「状態を表す完了」の姿を想像しやすいです。
例えば、現代英語 can の祖先にあたる古英語 cunnan は印欧語の「知っている」という現在の状態を表す意味でした。古英語では本動詞としての用法が主で、「できる」という意味の助動詞として確立するのはしばらく後の時代です。
古英語の過去現在動詞
ゲルマン祖語では15あった過去現在動詞は、古英語に至るまでに12に数を減らします。現代まで残っているのは6つです。対応する現代語がある場合は英語で示していますが、意味は現代までに大きく変わっているものがほとんどです。
- witan 知っている
- durran あえてする >dare
- gemunan 覚えている
- (ge)nugan 十分である >be enough
- agan 所有する=own
- þurfan 必要としている
- dugan 役立つ
- cunnan 知っている >can
- unnan 保証する
- magan できる >may
- sculan しなければならない >shall
- motan してよい >must
- 古英語から現代語までの助動詞の意味変化
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上記のリストの内、現代語ま助動詞として残ったのは cunnan, magan, sculan, motan の4つです。意味は次のように変化しています。
古英語 現代英語 cunnan 知っている できる magan できる
(力を持っている)してよい
~かもsculan しなければならない するつもりだ
しましょうmotan してよい しなけれならない 助動詞の意味変化はまたずいぶん長い話になるので、これまた別の記事で扱いたいと思います。このうち、must を除くと can, may, shall にはそれぞれ could, might, should という過去形がありますが、これはゲルマン語の歴史の中で新たに作られた過去形です。いずれも /t, d/ という弱変化過去の接辞を付け加えているのに注目です。
must は否定と肯定で意味が異なりますが、それについては次の記事で考察しています。
don’t have to と must not の意味が違うわけを考えすぎ「なくてもいい」けど、まったく素通り「してはいけない」という話
不規則動詞
強変化動詞、弱変化動詞、過去現在動詞を除く一部の動詞は本来の不規則動詞と呼ばれるものです。現代英語では強変化動詞に由来する動詞のことを「不規則動詞」と呼ぶので注意してください。
本来の不規則動詞の代表は現代英語の be, will, do, go にあたる動詞です。以下では最初の3つについて詳しく見てみましょう。
be
be にあたる動詞は完全に不規則です。
Goth. ゴート語(東ゲルマン語)
OIcel. 古アイスランド語(北ゲルマン語)
OE 古英語(西ゲルマン語)
OHG 古高ドイツ語(西ゲルマン語)
Goth. | OIcel. | OE | OE(Fu) | OHG | |
単数1人称 | im | em | eom | beo | bim,bin |
単数2人称 | is | ert | eart | bist | bist |
単数3人称 | ist | es,er | is | bið | ist |
複数1人称 | sijum | erum | sind | beoð | biru(m) |
複数2人称 | sijuþ | eruð | sind | beoð | birut |
複数3人称 | sind | eru | sind | beoð | sint |
古英語には現在を表す系列(eom の列)と、一般論や未来のことを表す系列(beoの列)の二つがあります。古ゲルマン諸語の中でこれらを区別するのは古英語だけです。隣の古高ドイツ語では、これら二つが融合したような系列ができあがっているのがわかるでしょうか。
現代英語の be動詞は様々な系列の動詞の組み合わせでできています。現代の is の系統と、be, being, been の系統と、was, were の系統の組み合わせで一つの動詞のパラダイムができているので、相当に不規則になっているのです。さらに they are の are は古英語の sind 系統を捨てて、古ノルド語由来の語形から借りてきたとされています。まったく不規則の王者といってもいいぐらいの状況です。
will
現代英語 will の古英語形 willan は「ほしい・したい」という意味で、助動詞のようにも使われましたが、本動詞としても使われました。
ゲルマン語の will は印欧語の希求法(ゲルマン語的には接続法)に由来します。意味的には “want” のような直接的な意味ではなく、“would like” の発想で生じた語形ということになりますね。時代が下ると丁寧な表現はだんだん丁寧さを失っていくと言われています。will の接続法(仮定法)である would ができたのと同じ現象が印欧語からゲルマン語にかけて起きていたのがおもしろいところです。
先に述べた過去現在動詞も、ゲルマン語内で新たな過去形や接続法の語形を生み出しています。実際の英語では、should, might, could も大部分は現在の意味で使うので、時制の「昇格」は繰り返し起きているのがわかります。
do
do に当たる動詞は、古英語や古高ドイツ語などに代表される西ゲルマン語のみに見られます。北ゲルマン語と東ゲルマン語では廃語となりました。この動詞はギリシャ語の tithēmi「置く」やラテン語の facere「作る」など各言語の重要語と同族語ですが、ゲルマン語ではとりわけ重要な動詞です。
do の過去形の did は、過去形が印欧語の現在語幹に過去を表す接辞をつけた形態(伝統的には未完了過去と呼ばれる時制)に由来します。ゲルマン語の過去形は本来は印欧語の完了形に由来するのですが、この did のみ違うのです。さらに、弱変化動詞の歯音接辞も do の過去形が転用されているという説が有力です。
do の形態
現代英語
do-did-done
古英語
dōn-dyde-dōn
現代ドイツ語
tun-tat-getan
古高ドイツ語
tōn-teta-gitân
現代英語の do-did の変換は、d- に過去を表す -id を足したように一見見えます。say-said のように -id を付す過去形があるからです。しかし、do は本来の不規則動詞です。現代英語の did や古英語の dyde は、本体の d の前に di-, dy という要素を付け加えているのです。これは印欧語に見られる子音字重複(reduplication)と呼ばれる現象です。印欧語には幅広く見られ、ギリシャ語やラテン語の完了形の一部に残っていますが、現代英語でこれを残しているのは did のみです。上の例では、赤字で示した部分がこの子音字重複にあたる部分です。
ゲルマン語の弱変化過去は、動詞の語幹、あるいは分詞の中性形にこの “did” を付け加えてできたという説があります。実際にはこれを裏付けるにはまだ証拠不十分とされていますが、何らかの形で did が弱変化過去の由来として関わっているのは確かとされています。
- Fulk, R. D. (2018): “A Comparative Grammar of the Early Germanic Languages”, Amsterdam / Philadelphia, John Benjamins Publishing Company
- Ringe, Don / Taylor, Ann (2014): “The Development of Old English”, A Linguistic History of English: vol. 2, Oxford University Press
- Ringe, Don (2017): “From Proto-Indo-European to Proto-Germanic”, 2nd Ed: A Linguistic History of English: vol. 1, Oxford University Press
- 清水誠(2024)『ゲルマン諸語のしくみ』白水社
- 堀田隆一(2016)『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』研究社