助動詞 can の歩む道 ――「知っている」から「いま、できる」のです。
6千年以上に使われていた、現在のヨーロッパ言語の祖先を印欧祖語といいます。今日のインドからヨーロッパにかけて使われている言語の多くは、この印欧祖語にさかのぼることができます。
研究者は現在の諸言語をあらゆる角度から分析し、はるか昔に存在したこの幻の言語を再建しようと努力してきました。そして文献の残っていない時代の祖語がどのような「音」や「意味」を持っていたか、現在では多くが明らかになっています。
何気ない単語のDNAの中にその彼方からの声が刻み込まれているのを感じ取ると、見慣れた単語が新たな表情をもって浮かび上がってきます。他人を理解するために、その人が歩んできた道のりを知ることが重要であるのと同じように、語学において単語の意味を本当に「知っている」ということは、その単語がたどってきた長い旅路に寄り添った解釈ができるということです。語彙学習は語学の基本であり、本当はいちばんおもしろいところなのです。
今回は、英語でいちばんはじめに習う助動詞 can が歩んできた道のりをたどっていきたいと思います。人の旅と同じで、canの長い旅路では様々な興味深い出会いがあり、別れがあり、現代の姿にたどり着いてきたことがわかるはずです。
印欧祖語では「知っている」という意味を、*gno– という音で表しました。2000年ほど前の記録が残っているギリシャ語やラテン語にはこの音が割とそのまま伝わりました。
そこから英語に入ってきた recognize「認識する」ignorant「知らない」という英単語は、印欧語の *gno の音を今日に伝えています。また、一部では g の文字が落ちて、noted「知られた」 notion「概念」 noble「高貴な」 narrate「知っていることを語る」 といった語彙を形成しています。
印欧語幹の中でも非常に多くの英単語につながる重要語幹です。
祖語の *gno-sko- という接辞形がギリシャ語・ラテン語の一部の動詞に引き継がれます。「知っている・知るようになる」という意味です。
re-「再び」という接頭語を伴ってラテン語の動詞として使われます。
中世フランス語の時点の形が英語に流入してきました。このあたりは諸説あります。
現在の「認識する」という意味が最初に現れたのは1533年とされています。19世紀以降現代にかけて、急激に使用頻度が上昇してきた英単語です。
北西ヨーロッパの言語系統としてラテン語派と双璧をなすゲルマン語派では、印欧語の*gno は、*gne, kne, ken, kan, kun, kuth といった音で伝わりました。
gno → knu は g → k の無声音化というありふれた現象で、knu → kun となるのは、音位転換(metastasis)というこれまたあり触れた現象です。
- 音韻転換とは
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隣接する文字や音が入れ替わる現象です。例えば、three が third, thirty となるのは、r と後続する母音が順番を入れ替えた結果です。現代英語の bird も古英語では bridd という綴りでしたが、音位転換を受けて今のようになりました。
日本語で「雰囲気」が「ふんいき」→「ふいんき」となったりするのも同様の現象です。
ここから助動詞 can の旅路は新たな展開を迎えていきます。
古英語には「過去現在動詞」という動詞群があって、本来動詞の過去形だったものが、現在の意味で使われるようになった動詞のことを指します。
古英語の cunnan という動詞は過去現在動詞で「知っている」という意味を持ちました。これが現代英語の can の直接の起源です。この現在分詞の形が今に伝わったのが cunning という単語です。この単語は現在では「よからぬやり方を知っている」というネガティブな意味を表すようになりました。ちなみに、cunning という単語に日本語の「カンニング」の意味はなく、代わりに cheating を使います。
ただ、古英語ではまだ「できる」という意味では現代の may の祖先 magan を使うことが多かったです。それでも「知っている」という意味の単語が「できる」という意味を獲得して、広く使用されるようになっていくのは当然の流れでした。この意味の変遷については、多くの言語で似たような現象が観察できます。
例えば、現代フランス語の savoir やイタリア語の sapere などは「知っている」という意味の本動詞であると同時に、原型不定詞を後ろにとると「~できる」という助動詞的な使い方もできます。
古英語で「できる」を表していた代表選手 magan [>may]は、もともと「力を持っている」という意味でした。現代語の mighty「強力な」や almighty「全能の」などの単語にその「力」のイメージを見て取ることができますね。「力」と結びつく magan は、次第に「正式な許可」のニュアンスを獲得していき現代へとつながっていきます。
また、「知っている」ということを表すには、古英語 cnawan からできた know が活躍の幅を広げていきます。この、know と can は見た目は違いますが、k-n という共通の文字で結ばれている兄弟です。
こういう状況で、中世までは「知っている」いう意味を保持していた can は、近代になって「できる」という方の現代語の意味を確立していきます。そして普通の動詞から助動詞という特別な動詞へと進化していくのです。
ゲルマン祖語の1人称・3人称単数の形 *kann が can の祖型です。
過去現在動詞で「知っている」という本動詞でした。近代にかけて「できる」という意味を確立していきます。
- 古英語 cunnan の活用
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単数 複数 1人称 can(n) cunnon 2人称 canst 3人称 can(n) 古英語・過去現在動詞 cunnan の直説法現在の活用
太字の部分が現代英語へと引き継がれていった
古英語 cunnan の1人称・3人称現在の形が使われるようになります。意味は「知っている」のほうがまだ優勢でした。
現代英語の「できる」という意味を確立し、助動詞として使われるようになります。一方で、本動詞としての用法はなくなる。例えば、現代英語では I can English. とはいえず、必ず原型不定詞を伴って I can speak English. などと言わなければなりません。
※ 英語よりもゲルマン語の古い姿を保っているといわれるドイツ語では、まだ本動詞としての使い方も残っており、 Ich kann Englisch. [=I can English.] という言い方も許容されます。
can は本来、動詞の過去形からできた動詞でしたが、そのため、現在の意味が確立した後で、新たな過去形を生み出す必要がありました。そのため古英語では cuthe(cuðe/cuþe)という過去分詞が生まれ、中英語では coud, coude と変化します。
coud だと一文字足りないように見えますが、-l- の文字は1500年頃、would, should からの類推(analogy)によって挿入されたものです。ちなみに古英語の過去分詞は cuthe という形で、現代英語の uncouth「粗野な」といった単語に残っています。
could が can の過去形ということは誰もが知っていますが、could を文中で正しく使える学習者はそれほど多くありません。次の日本語を英語でどう表現するか考えてみてください。
「私たちは試合に勝つことができた。」
この文を英訳しようとすると、多くの日本人が “We could win the game.” としてしまいます。しかし残念ながらこの英文は課題文のような内容を表すことができません。過去形 could は過去の1回限りの動作の達成には使うことができないのです。この点についてここでは深入りしませんが、興味のある方は辞書や参考書で could の項を調べてみてください。
では、”We could win the game.” という英文は、どのような意味になるでしょうか。条件節を付け加えてみるとはっきりします。
If he were on our team, we could win the game.
もし彼が我々のチームにいるなら、試合に勝てるのに。
まごうことなき仮定法の文になります。実際に文中で使われる could は多くがこのように「現在の仮定」で使われるのです。”Can you open the window?” といっても “Could you open the window?” と言っても、どちらも現在の意味を表すように、could は今や現在の用法を確立しています。
ここで注意しておきたいことがあります。仮定法の語形の説明として「動詞・助動詞の過去形」で現在の意味を表す、と説明されることが多いですが、実際には「動詞・助動詞の仮定法の形」にして現在の意味を表しています。現代英語では be 動詞 is, am の仮定法 were を除いて、「仮定法の形」=「過去形」となってしまったので便宜上説明として問題ありませんが、言語として、本来は「仮定法の形」≠「過去形」です。英語以外の言語を勉強したことがある人からすると当たり前のことですが、英文法ではほとんど意識されない点ですので一応言及しておきました。
要するに、could という語形は、過去形の「できる状態にあった」という意味と、仮定法で「(いま)できるのに」「(いま)やっていただけませんか」という意味を両方担っているということです。そして後者の意味として使われることが頻度としては多いわけです。
そう考えると、過去形からできた can が現在の意味になり、その過去形からできた could もまた現在の意味を確立していることになります。これは、could に限らず、would にも当てはまります。そして本来 shall の過去形である should に至っては、ほとんど100%現在の意味で使用されます。
過去現在動詞 cunnan から新たな過去形を作る必要性が生じて生まれた。古英語では《th》はルーン文字由来の《þ,ð》で表されたが、ここでは便宜上ラテン文字を使っています。
-d, -de をつけて過去形を作る動詞に合わせて過去形が作られる。
すでにあった would や should の影響で -l- を挿入し現代の綴り字になる。
動詞の過去形と仮定法の形が一致する現代英語では、could は現在の意味で使われることが多くなっている。
遙か彼方の印欧祖語から旅してきた言葉は、今後どのような姿を獲得していくか?
このように、助動詞とは歴史的に長い「時間」をかけて、言語内の「時制」を遡っていくものなのでしょうか。「過去形」=「仮定法の形」となってしまった英語ならではの現象かもしれませんが、また新たな過去形がはるか先の言語では生まれるのでしょうか。これから英語がたどっていく道に興味がつきません。
私が初めて読んだ英語史のテキストは、大学の教職課程の教科書であった、家入葉子著『ベーシック英語史』でした。その中に、次のような記述があります。
このような過去現在動詞を見ていると、「歴史は繰り返す」という性質があるのではないかと思う。should や might は過去の場面ではなく、現在の場面で使用することが多い。新たに生じた過去形も、また現在の場面で使用することが多い。
家入葉子(2007)『ベーシック英語史』ひつじ書房, p.80
今思うと、この本の中にあるこの部分が、私が英語史に興味を抱くようになったきっかけでした。そこから様々な古典語や現代語を勉強し、専門外ではありものの言語史の本を読むようになりました。
英語の助動詞の歴史は、言葉の移り変わりの興味深い側面を、ひっそりと、それでいて雄弁に語りかけているように思います。まだまだわからないところも多いですが、これからも言語の探求を続けていくにあたって、こういった面白い発見に出会い、それを読んでくれる方と共有できたら、それ以上の喜びはありあせん。
- 家入葉子(2007)『ベーシック英語史』ひつじ書房
- Barnhart, Robert K.(1988), Chambers Dictionary of Etymology, Chambers Publishing Limited
- Skeat, Walter W. (2005), An Etymological Dictionary of the English Language, Dover Publications Inc.
[単語の変遷については Chambers の方に拠った。特に recognize の中英語の以降の説明は語源辞書によって違う説明がなされている部分もあるので、見比べてみると面白い。] - Watkins, Calvert (2011), The American Heritage Dictionary of Indo-European Roots, Houghton Mifflin Harcourt
- Shipley, Joseph T. (1984), The Origins of English Words – A Discursive Dictionary of Indo-European Roots, The John Hopkins University Press
[印欧祖語から各現代語に続く変遷を考えるならこの2冊がおすすめである。特に祖語 *gno- はまだまだ広がりがある非常に多産な語幹なので、他の派生語を調べるてみるのも面白い] - 久野暲・高見健一(2013), 『謎解きの英文法 時の表現』くろしお出版
[助動詞 could と「できた」の対応関係について詳しい。]