like him が「ライキム」のように聞こえるのはなぜか。【日英対照で音声学①】

imaizumisho

このシリーズでは、音声学の基礎知識を身につけながら、英語の発音のしくみについて実践的な知識を身につけることを目標としています。そもそも我々が使う言語の「音声」とは何かについて、自覚的になっていきましょう。

今回のキーワード
子音の調音点
口蓋化

速く読まれる英語を聞いていると、”like him” という2単語が「ライキム」のように聞こえることがあります。これはなぜ起こるのでしょうか。

簡単に答えると、「[h]の音が脱落したから」です。なんとも当然の話です。

では、もう一歩問いを進めます。

like him に見られる、[l],[k],[m]の子音が脱落することはありません。それなのに、なぜ [h] は脱落することがあるのでしょうか。

それを知るために、次のように問いを改めます。

日本語の「ヒ」と英語の “hi” の発音はどう異なるか?

日本語の「はひふへほ」は、ローマ字で <ha, hi, hu, he, ho> と表記されますが、音声学的には3種類の子音が含まれます。実際にハ行を丁寧に発音して考えてみてください。

今回のキーワードは子音の調音点です。ずばり、口の中のどの位置で発音しているかです。

日本語のハ行では、「フ」が両唇、「ヒ」が口の中の天井のちょっとでこぼこした堅い部分(硬口蓋)、「ハヘホ」が口の奥(声門)、で調音されています。それぞれ音声学的には次のような名前がついています。

※名前を暗記するよりも、実際に発音してみて、どこで、どんな風に発音されているかに自覚的になることの方が大切です。

フ→[ɸ]
調音点: 両唇(りょうしん)
「無声両唇摩擦音」

ヒ→[ç]
調音点: 硬口蓋音(こうこうがい)
「無声硬口蓋摩擦音」

ハヘホ→[h]
調音点: 声門(せいもん)
「無声声門摩擦音」

「無声」とは、発音する際、声帯が震えない音です。日本語で「か-が」のように清濁の対立がある場合、清音や半濁音の子音が無声音です。

「摩擦音」とは、口腔内のどこかを狭めて、そこから空気を持続的に流すことで調音する子音です。例: [s], [θ], [h] 

ハ行に含まれる子音はすべて摩擦音です。摩擦音の調音点は、その子音を発音しようとして、息を吐く代わりに「吸って」みるとわかります。吸ったときにすこし冷たくなる場所が調音点です。

Q
【補足】(硬)口蓋化

日本語のイ段では、先行する子音は硬口蓋寄りに調音位置がずれてしまいます。はっきりと観察できる行でいうと、「た<t>→ち<ch>」「さ<s>→し<sh>」です。これらは<>で示したヘボン式ローマ字でも違う綴りを採用するぐらいですので、違う音だと自覚しやすい音です。いずれもイ段の時に調音点が硬口蓋に近寄る(硬)口蓋化という現象が起きています。「は[h]→ひ[çi]」 も口蓋化を受けているわけです。

日本語の音声など、普通に生きている限り意識することはあまりないかもしれません。ただ、言語学習には極めて役立つ知識です。「は」は口のかなり奥(ほとんど喉)で発音されているのに対し、「ひ」では口の中のずいぶん前方(硬口蓋)で発音されています。これに自覚的になるのが、言語の音声を捉える第一歩です。(ちなみに「ふ」はもっと口の前の方である両唇を使います!)

以上より、日本語の「ヒ」と英語の him の違いは次の通りになります。

日本語の「ヒ」
[çi] 硬口蓋音

英語の him
[hi] 声門音

Q
【補足】ある音は前後の音に影響を受ける

理論上は him の発音は [him] となるように、声門摩擦音[h] が母音[i] に続きます。

ただし、音声学における基本的な考え方として、「人間が発する言語の音声は、前後の音に必ず影響を受ける」というものがあります。つまり、英語でも厳密に言うと、hot と him で、語頭の [h] は後続する母音の影響を受けて調音点が変わっています。どの話者でも him の方が口も前で発音する [i] という母音に引きつけられる形で調音点が前に移動します。him を日本語の「ヒ」[çi] と同じぐらい硬口蓋寄りで発音する人もいますし、同じ話者でも状況によって硬口蓋音のように発音する人もいます。[i]という母音の他では、human に見られるように [j] という半母音(日本語で言うヤ行の子音)が後続するときも、硬口蓋寄りで発音されます。

とは言っても、him や human の発音は、日本語の「ヒ」ほど強く硬口蓋で空気の流れを阻害する音にはならない場合がほとんどです。あくまで声門音として、それがやや硬口蓋寄りに移動した音になる具合です。

人間は、声門が位置する喉を、舌ほどは自由に動かせません。そのため、声門で調音する摩擦音[h] は、舌(先)の助けを借りる [s] や [ç] といった他の摩擦音に比べてはっきりとした音をつくるのが難しくなります。結果、音の主張が弱くなり、前後の音によってはかき消されることもあります。

これを示す例として、古典ラテン語では発音されていた [h] があります。声門音 [h] は、民衆が話す俗ラテン語では発音されなくなり、現代のイタリア語やフランス語でも一切発音されません。また、イギリス英語の一種であるコックニーという方言では have が “ave” のように発音されたりと、[h]が脱落することがよくあります。

薄い存在になりやすい英語の声門音 [h] は、特に発話スピードが速い口語では脱落して聞こえるようになります。まして、代名詞 him や her といった代名詞は通常文中で強勢を受けないので、この傾向は一層強まります。そのため、like him や like her が実際には “lik’im” や “lik’er” のように聞こえるのです。

今回のポイント

日本語の「ヒ」は硬口蓋音、英語の hi は声門音。

発音の仕組みを理解してから発音練習に取り組むことは、英語っぽく聞こえるための重要なステップです。

日英の音声の違いに自覚的な学習者は英語の him や human といった単語を発音する際、日本語の「ヒ」ほど調音点を前に持ってこないことを意識するようになります。そうするだけで、ずいぶん英語らしい発音に聞こえ始めるものです。

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巷の英語教員・語学人間
2018-2020年にかけて存在したサイト『やるせな語学』をリニューアルして復活させました。いつまで続くやら。最近は古英語に力を入れています。言語に関する偉大な研究財産を、実際の学習者へとつなぐ架け橋になりたいと思っています。
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