【英語が始まるとき】北海ゲルマン語の特徴、そして古英語へ

imaizumisho

前回の記事では西ゲルマン語が分化していく中で、高地ドイツ語に起きた革新である第二次子音推移について解説しました。今回は、「一方その頃、英語は…」という話です。

主に扱うのは、英語の文献が残る時代、すなわち、狭い意味での「英語の歴史」の始まりまでです。英語史の入門書では、このあたりは射程に入らないことも多いのですが、この時期に生まれたいくつかの特徴は現代英語まで受け継がれている重要なものがあります。英語がどのような言語であるかを深く知るために、英語が朝日に照らされる少し前、その薄明の世界をのぞいて見ましょう。

この記事の内容と(ゆるやかに)関連すること
  • This book sells well. (この本はよく売れる。)という能動受動文。
  • 英語 we, me とドイツ語 wir, mir の対応。
  • tooth-dental, five-pentagon(五角形) といった語源的に関連する英単語のペアにおいて、借用語に含まれる n が英語本来語には見られない。
  • 《英語本来語―古ノルド語由来の単語》のペア yard-garden, chest-kist(大きな箱), shirt-skirt では、同根語なのに語頭の音(=文字)が違う。
  • 英語 live とドイツ語 leben の対応。

※今回の記事は英語学習者向けに書いていますが、一部ドイツ語を引き合いに出す場面があります。この時期の英語がどのような言語かわかることは、相対的にドイツ語がどのような特徴を持っているか理解することにもつながるからです。全体が長くなっているので、【補足】は最初は隠しています。背景を深く知りたい場合に適宜参照してください。

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North Sea Germanic

北海ゲルマン語概観

西ゲルマン語は、伝統的に次の3つに分けられます。内陸部(現在のドイツ南側)から順に挙げます。

○エルベ川ゲルマン語
○ヴェーザー・ライン川ゲルマン語
○北海ゲルマン語

現在の標準ドイツ語は、エルベ川ゲルマン語に含まれる方言を母体としながら、その他の地域の要素も取り入れて近代期以降に確立しました。オランダ語はヴェーザー・ライン川ゲルマン語に含まれる古底フランケン方言や北海ゲルマン語の古低地ザクセン語を母体としています。これらの関係は複雑ですので今回はこれ以上踏み込みません。

さて、英語はフリジア語などと共に、3つめの北海ゲルマン語に属します。

北海ゲルマン語の特徴は、はっきりと分からないものも多いのですが、顕著なのは以下です。

北海ゲルマン語の特徴

再帰代名詞の消失。

○人称代名詞語尾 r (<*z) の消失

○動詞の活用における複数人称の語尾の統一

○摩擦音の前で鼻音が脱落し、先行母音が延長(鼻音消失と代替延長)

○軟口蓋音 *k *g の硬口蓋音化

専門用語が並んで難しいと感じるかもしれませんが、これらは英語を他のゲルマン諸語と分ける重要な指標です。以下ではこれらの特徴について現代語につながる例を挙げながら解説していきます。

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North Sea Germanic

形態的特徴

再帰代名詞の消失

語派を問わず、ヨーロッパの多くの言語では主語そのものを同一文中で指すための再帰代名詞が発達しています。再帰代名詞は動詞と結びつき、「再帰動詞」と呼ばれる独自の動詞カテゴリーを形成しています。再帰代名詞はドイツ語の sich, フランス語の se といったアクセントの置かれない軽い言葉で、中にはロシア語の ся のように動詞にくっついてほとんど接辞のように振る舞うものもあります。

英語を含む北海ゲルマン語では独立したカテゴリーとしての再帰代名詞を失います。そのため、古英語には再帰代名詞がありません。再帰的に主語と同一人物を指したいときは、現代風に言うと《I love me》のように普通の人称代名詞を使っていました(現代英語では myself としないといけない)。1人称と2人称では問題ありませんが、三人称で《Tom saw him》のように言うと、古英語では him が Tom を指しているのか、他の誰かを指しているのかは明示できません(現代英語では このhimでTom は指せない)

再帰代名詞の不在は、このように、特に三人称主語の文で曖昧性を生んでしまいますので、英語は後の時代に oneself という独自の再帰代名詞を発展させました。himself, herself, themselves といった3人称代名詞(目的格+self)から生まれ、それが myself, yourselfといった1・2人称(所有格self)と広がっていきました。

Q
【補足】再帰動詞がない(?)英語

現代英語は再帰代名詞を使った構文が、他言語ほどは文法的に確立していません。現代の英語とドイツ語を比べると、ドイツ語では再帰代名詞を使って表現するところが、英語ではそうなっていない場面も多いです。(太字は再帰代名詞)

「この本はよく売れる」
ド: Dieses Buch verkauft sich gut.
英: This book sells well.

この例において、ドイツ語は「この本は自分自身をよく売る」という言い方をしています。(語派は違いますが、フランス語でも 《Ce livre se vend bien.》、ロシア語でも 《Эта книга хорошо продаётся.》という具合に同じ言い方をします。) 英語は再起動詞をもたないので、普通の動詞形で表します。学校文法でも習うこの構文は「中間構文」やら「能動受動文」やらと呼ばれたりします。再帰代名詞を本来持たない英語の「中間構文」には「原則として現在時制で、副詞を伴わないとないといけない」など数々の制約があります。

私が高校時代に英文を読んでいたとき、This book sells well. という英文を見てもの意味は普通に分かるのですが、なぜ主語が「本」なのか、と問われれば、それはよく分かりませんでした。「本が売る」わけではないですし…。

この「能動受動文」という、何というか、ビタースィート的名前の英文がようやくわかり始めたのは、他言語を知ってからでした。中動態を独立したカテゴリーとして持つ古代ギリシャ語や他言語の再帰構文を理解すると、英語のこの構文が腑に落ちたのです。そしてゲルマン語の入門書で英語は言語史の最初の段階で再帰代名詞を失ったという記述に出会って、すべてがつながる感覚を持ちました。

他言語の再帰構文として、もう1つ例を挙げます。

「彼は手を洗う」
ド: Er wäscht sich die Hände.
英: He washes his hands.

ドイツ語では「彼は手を洗った」と言いたいときでも、「彼は自身において手を洗った」といった表現をします。そうしないと、自分の体にくっついていない手を洗っている(!)という風に聞こえるのです。ドイツ語に慣れた後で英語を見ると、「ここで再帰代名詞いらないのか」なんて思うこともよくあります。

もっとも、古英語では、ここに挙げた「所有の与格」を用いた文や、再帰構文のような文も普通に見られました。例えば、「私は恐れる」というとき、現代語では “I dread” と言えますが、古英語では “ic ondrēd me” のような自分自身を指す代名詞を用いた言い方がされていたということです。英語は再帰的な代名詞を使う構文を衰退させ、oneselfという新たな再帰代名詞を作ったのですが、その oneself も近代以降、adjust (oneself), behave (oneself) などでは再帰代名詞を抜いた表現が広まりつつあります。

Q
【補足】読書案内

英語の受動態について述べた本サイトのこちらの記事では、英語の受動文を他言語の再帰構文を比較関連付けて論じています。

英語の中間構文について、現代英語の事象を読み解き解説した書籍は、影山[編](2001: 7章)がおすすめ。

英語の中間構文の歴史的発達については、中尾・児島に(1990)に言及がある。

英語の再帰代名詞 self の発達については『英語語源ハンドブック』の self の項を参照するとよい。

統一複数

動詞の活用において、北海ゲルマン語は複数主語における活用語尾が統一されます

↓主語の人称と数古英語古高ドイツ語
1人称単数lufieliubēm
2人称単数lufastliubēst
3人称単数lufaþliubēt
1人称複数lufiaþliubēmēs
2人称複数lufiaþliubēt
3人称複数lufiaþliubēnt

ここに示しているように、北海ゲルマン語の古英語では、複数主語の語尾は全人称で同じになります。ここには現在形のみ示しましたが、過去形、接続法のときも同様です。

英語史において、複雑な屈折語尾は古英語末期以降、水平化の方向へ大きく傾いていきます。いわば、英語の形態の歴史は、複雑な語形変化を失っていく歴史と言ってもよいわけです。

それを抑えた上で、すでに古英語は、同時代のゲルマン諸語に比べると複雑な屈折が少しだけ均一化されている点にも目を向けたいところです。学習においても動詞の活用で6種類の語尾を覚えるか、それが4種類かは、大きな差になります。(ありがとう古英語!)

Q
【補足】名詞類でも

動詞パラダイムに限らず、名詞類においても、古英語は古ノルド語や古高ドイツ語と比べて語形変化が少なくなっている部分もあります。

古英語は指示代名詞の複数形は全性共通です。どういうことかというと、ゲルマン古語では、現代英語の “that” の複数における語形が性(3つ)×格(4格)に応じて12あるのですが、古英語はすでにこの時点で(たったの!)4つの形で済みます。

また、人称代名詞の1人称と2人称においても、ドイツ語では現代まで区別している mir/mich の語形は、すでに多くの古英語文献で me に統一されています(ただし、古くは対格が別形 mec があった。また、語形が同じでも、格の役割は区別あり)。

人称代名詞の3人称では、古英語はすべて h- の文字で始まります。she, it, they も元は、heo, hit, hie でした。3人称の人称代名詞の複数形も全性共通です。

名詞の格変化はゲルマン祖語の名詞の種類に応じて何種類かあるのですが、こちらもすでに古英語期には、男性・中性の最大派閥である《a語幹型》にどんどん合流していっています。このグループでは男性複数主格に典型的な -as という語尾があり、英語はそれをあらゆる名詞の複数表示に拡大していきました。

これらを踏まえると、古英語は、ゲルマン古語の中では比較的学習のハードルの低い言語であると言ってもいいかもしれません。

人称代名詞語尾 (*z>)r の消失

西ゲルマン語全体で、ゲルマン祖語の名詞類の語尾 -z は脱落します。そのため英語ではこの音が消えています。しかし古高ドイツ語では強勢の置かれない一音節の語ではこの語尾が保たれます。*z はロータシズムと呼ばれる変化によりドイツ語では r で現れます。

英語-ドイツ語
we-wir
me-mir
you-ihr
who-wer

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North Sea Germanic

音韻的特徴

重要な変化は3つです。

鼻音消失と代替延長

北海ゲルマン語では、ゲルマン祖語の無声摩擦音 *s *f *θ の前で *n が脱落し、その文前の母音を長く読むようになります。現代語を比べたとき、英語は他言語に見られる<n>が欠けている場面があるのですが、それはこの時代の変化に由来します。

英語(古英語)-ドイツ語(古高ドイツ語)
赤字第二次子音推移(/θ/>/d/も含む)を受けた子音

five (fīf) – fünf (fimf~finf)
tooth (tōþ) – Zahn (zand)
other (ōþer) – ander (andar)
soft (sōft) – sanft (samft)
mouth (mūþ) – Mund (mund)
goose (gōs) – Gans (gans)
us (ūs) – uns (uns)

また、英語内の同語源語でもこの現象は観察できます。dental という英単語はラテン語・フランス語に由来しますが、語幹 dent- の部分は、英語の tooth(<OE tōþ) に対応します。
(語頭の d>t, 語幹末の t>θ は、第一次子音推移)

数詞「5」は他の語派でも、ギリシャ語 pente に由来する pentagon「五角形」という単語にはやはり英語では消えた<n>が確認できます。
(語頭のp>fは、第一次子音推移)

*k *g の硬口蓋音化

高地ドイツ語子音推移ほど大規模ではありませんが、北海ゲルマン語、そして古英語を大きく特徴づける子音変化です。

特に前後の *i の音によって軟口蓋音 *k *g硬口蓋化(以下、単に口蓋化)を起こします。音声学の基礎知識がある人は次の説明は読み飛ばしてください。

【音声学の基礎知識: 口蓋化】
口の前で出す(半)母音(とりわけ/j/や/i/)によって子音の調音点が硬口蓋寄りになること。

日本語で「か」[ka]というときと、「き」[ki]と言うときを比べてみてください。「き」の[k]のときは、舌が盛り上がり、子音が口腔内の前の方で調音されているのが分かるでしょうか。母音[i]によって本来は口の奥の方(軟口蓋)で発音する[k]の音が、口の前の方(硬口蓋)に移動しています。

軟口蓋音閉鎖音[k]と区別して表記する際、国際音声記号では硬口蓋閉鎖音[c]の記号を使うことがあります。日本語では「か・く・け・こ」と「き」で別の音素を立てることは通常しません。この/k/の違いが意味の違いに関わることがないためです。

別の音素として区別はしなくても、実際には多くの言語でこのように隣接する前母音によって調音点が硬口蓋に近づくという現象は起きています。

*k →口蓋化→[tʃ]
北海ゲルマン語では、一定の条件下でゲルマン祖語の *k が硬口蓋音[c]になったと想定されています。これは古英語期の10世紀までに破擦音[tʃ]になりました。
Gmc *kinnuz>OE cinn > chin

*g →口蓋化→[j]
ゲルマン祖語の *g が口蓋化すると、古英語期までに /j/ という半母音になりました。つまり、古英語期は geard と書いて「イェアルド」のように読んでいたのです。この口蓋化した<g>は現代では(ありがたいことに!)多くの場合<y>の文字で表記します。
Gmc *gardaz>OE geard> yard

*gg →口蓋化→[ddʒ]
重子音 *gg は口蓋化すると古英語では<cg>の表記で[ddʒ]の長子音として発音します。現代語の bridge に見られる音の閉鎖を長くして発音する感じです。
WGmc *aggu>OE ecg> edge

*sk →口蓋化→[ʃ]
子音連続の *sk も口蓋化で [ʃ] になる場面がありました。現代語ではこの音は<sh>の綴りで表記します。
Gmc *skipan>OE scip> ship

これらは英語特有の変化ですので、英語と他のゲルマン諸語を区別する大きな指標となります。英語は古英語期後半からヴァイキングが話していた古ノルド語の語彙を借用していきますが、英語本来語と古ノルド語由来の単語が共存しているときは、英語側が口蓋化を受けている点に注目です。

英語本来語 – 古ノルド語由来
ditch (水路) – dike (堤防)
chest (箱)kist (大きな箱)
yard (庭)garden (庭)
shirt (シャツ)skirt (スカート)

口蓋化は、現代英語の語彙の中で、それを経験しなかった古ノルド語由来の語彙を際立たせることにもつながりました。現代語 get, give に当たる古英語 gietan, giefan は口蓋化の影響で「ィエタン」「ィエヴァン」のように読んでいました。つまり、基本単語 get, give は古英語由来ではなく、古ノルド語由来の(少なくともその影響を受けた)単語だということがわかります。

Q
【こぼれ話】私の語学経験から

私はドイツ語を勉強した後に古英語に手を出したので、古英語で <ge-> を「ィエ」のように読んでいて、それがドイツ語の「ゲ」に対応するということを後から知りました。そのとき、英語の <y> はドイツ語で <g> に対応することがある理由が初めて分かり、興奮と感動を覚えたものです。

口蓋化を経た英語とドイツ語を比べると、次のようなペアが目に付きます。

chin – Kinn
churchKirche
→ Kirche の <ch> は第二次子音推移
yesterdaygestern
yellow – gelb
yell – gellen
yield – gelten

さらに英語の語源を勉強してからは、alike や enough の語頭の母音も古英語の <ge-> の名残だと知ります。そうすると、それがさらにドイツ語の gleich や genug などと同根と見えてくるわけです。そんなこんなで、またまたあの頃の興奮がよみがえるのでした。

ちなみに、英語ではルネサンス期にかけて、古語の表記に合わせて単語の綴りを変えようという運動が起こりました。これらの運動は「ギリシャ・ローマ万歳」を唱える学者によって広まり、この時期には英単語の綴りがギリシャ語・ラテン語風に(音声を無視して)改変されるなんてことが横行しました。doubt の b に見られるようなこういった綴りを「語源的綴り字」と言うのですが、この運動は自分たちの古語である古英語は対象としませんでした。もし「アグロサクソン万歳」な学者がそんなことをやっていたら、 yesterday を古英語の表記に合わせて、(発音は変えずに) gesterdag なんてしちゃってたかもしれません。いやあ、そうならなくてよかった!

Q
【補足】口蓋化が起きた環境

古英語を勉強すると、<c><g><sc>は口蓋化が起きるのかどうか悩んでしまうことがあります。入門書では口蓋化を示すために、子音字の上に小さな点をつけることが一般的です。口蓋化にはルールらしきものはあるのですが、残念ながら覚えるしかない要素も多いです。

口蓋化が古英語学習者を悩ませる理由は次のようなものがあります。

  • 同じ単語でも語形変化によって口蓋化の有無が変わる。
    例: 単数主格 dæg /j/ =day (口蓋化あり)
    ⇔複数主格 dagas /g/=days (口蓋化なし)
  • 現代語が口蓋化を示さない単語でも、古英語の中心地ウエストサクソン方言では口蓋化を示すことがある。
    例: 古英語 cealf /tʃ/ (口蓋化あり)
    ⇔現代英語 calf /k/ (口蓋化なし)
  • 口蓋化を引き起こす前母音が古英語の文献が残る時代までに表記から消えていることがある。
  • 同じ北海ゲルマン語でも古英語と古フリジア語で口蓋化の有無が異なったりする。

私の結論は、古英語で何度も出てくる重要な単語は口蓋化の有無までしっかり覚えるしかない…、あとはちょっとぐらい間違えてもしょうがない…ぐらいのところです。

以下では、この時代の英語の極めて専門的な概説書Ringe(2014: 203)による口蓋化条件をできるだけ簡単に書き換えて示してみます。
前母音は/j, i, y, e, æ/ とその長音を指します。ただし、iウムラウトによって生じた母音は対象外。(ウムラウトを引き起こす /j, i/ は対象。) /i/にその長音も含むとします。

《口蓋化条件》
*k
語頭: 後続母音が任意の前母音のとき。
語中 後続母音が/i/のとき。あるいは、母音間で先行母音が/i/で後続母音が任意の前母音のとき。
音節末: 語末では先行母音が/i/のとき。子音の前では口蓋化の有無は不明。

*g
語頭: 後続母音が任意の前母音のとき。
語中: 後続母音が/i/のとき。あるいは母音間で、前後が任意の前母音のとき。
音節末: 先行母音が任意の前母音のとき。

特に *k はこれでもかなり難しいです。語末のときは先行母音を見て、語頭・語中ときは後続母音を見るということが大きな方針となります。また、繰り返しますが、文献時代までに口蓋化を引き起こした音が表記から消えている場面もあるので、入門書を見て覚えるしかないと思う方がむしろ気が楽になる気がします。

*sk
語頭: 後続母音が任意の前母音のとき。
語中: (おそらく)後続母音が前母音のとき。先行母音は任意。
音節末: 先行母音が前母音のとき。

Q
【発展的な補足】なぜ口蓋化が起きたか

以下では、Ringe(2014: 51, 203)で述べられる口蓋化が生じた理由を紹介します。かなり専門的な内容です。そもそも古語の音韻変化は推測の域を出ませんし、文献時代の前となるとさらに不確かであることを抑えておいてください。

カギとなるのは、西ゲルマン語子音重複です。これを引き起こした典型的な「犯人」/j/は、先行子音を口蓋音風にした形で長子音化した可能性があります。♯をr以外の任意の子音とすると、*♯j>♯jjのように長子音化を引き起こしたと同書では指摘されます。/j/による子音重複は、もとの「犯人」/j/が先行子音♯に対して逆行的に口蓋音的性格を与える一方、♯は順行的に調音をするという2つの方向がせめぎ合い、両者の性格が共存する時間が生まれ、それが長子音として実現したと考えられるというわけです。

そうすると、西ゲルマン語子音重複で生じた *♯jj はもはや *♯j のような音の連続とは聞こえていなかったはずです。この時点で、*kjkj, *gjgj が硬口蓋音として意識されていたとします。

この背景があった上で、本文で見た通り多くの言語で見られるように硬口蓋寄りで発音された *k, *g は、重子音化で生じた音と同じような硬口蓋音に聞こえるようになったのではないでしょうか。そこで母語話者は「硬口蓋寄り」の音を、何らかの音韻規則によるものだと解釈し、硬口蓋音 *kj *gj と軟口蓋音 *k *g の対立が生まれたというわけです。

摩擦音の軟音化と硬音化

ゲルマン語が有していた4つの無声摩擦音 *f *θ *s *h は西ゲルマン語において、有声音間で軟音化(lenition)します。次の公式です。

有声音間で軟音化(西ゲルマン語全体)
無声摩擦音*f *θ *s

有声
摩擦音*β *ð *z

ただし、
軟口蓋摩擦音 *x

声門
摩擦音 *h

それを補うように、古英語では有声摩擦音が語末で硬音化(fortition)します。

語末で硬音化(古英語のみ)
有声摩擦音 *β *ð *ɣ *z

無声摩擦音 *f *θ *h *s

これだけだと分かりにくいので、英語とドイツ語の対応を比べてみます。

すべての位置で有声摩擦音 *β *ð *ɣ 閉鎖音 b, d, g になります。一方英語では、摩擦音のまま受け継がれる場面も多くありました。

brother – Bruder に見られるような、摩擦音/ð/ と閉鎖音 /d/ の対応はそれぞれ古語の時期から受け継いだものです。

英語の life/live とドイツ語の Leib/leben に摩擦音<f, v>閉鎖音<b>の対応があるのもこの時期の変化に由来します。このように、現代英語の<th>はドイツ語の<d>、<f, v><b>と対応することがよくあります。

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North Sea Germanic

まとめ【古英語のすすめ】

英語史と言えば、「ヴァイキング襲来」「ノルマン・コンクェスト」「ルネサンス」「印刷技術の広がり」「大母音推移」「アメリカ英語の確立」「世界英語」といった重大な出来事がたくさん連なって紡がれていくことが多いと思います。

今回は、それらから離れ、もっとずっと前の出来事に焦点を当てました。

先史時代の言語の話はいつだって抽象的になってしまうのですが、言語が生まれようとするその瞬間こそ、その言語の「性格」に大きく関わる重大な特徴が浮かび上がることもあります。なぜなら、この時代の変化が、姉妹言語と英語を区別する最初の指標になったからです。今回の話は英語の始まりまでの物語でしたが、ドイツ語がわかる人にとっても気づきが多い内容になったのではないでしょうか。

実は、「英語史」が始まるまでの物語は、私がずっと記事にしたいと思っていた内容でした。北海ゲルマン語をスタート地点にして、曙の光が現代英語に続く道のりを照らすように話を進めてみましたが、うまくいったかはわかりません。私なりに専門書の内容をわかりやすくするためにベストを尽くしたといったところです。書き進めるうちに、やたら古英語学習への勧誘記事みたいになっていった気も…。

多くの言語学習者にこの記事が届き、ドイツ語や古英語といった言語に興味を持つ人が増えることを、ささやかに願っております。

参考文献
  • 清水誠 2012『ゲルマン語入門』三修社
  • 清水誠 2024『ゲルマン諸語のしくみ』白水社
  • 須澤通/井出万秀 2009『ドイツ語史 社会・文化・メディアを背景として』郁文堂
  • 唐澤一友・小塚良孝・堀田隆一 2025『英語語源ハンドブック』研究社
  • 影山太郎[編] 2001『日英対照 英語の意味と構文』大修館書店
  • 中尾俊夫・児島修 1990『歴史的に探る現代の英文法』大修館書店
  • Fulk, R. D. 2018. A Comparative Grammar of the Early Germanic Languages. Amsterdam / Philadelphia, John Benjamins Publishing Company
  • Ringe, Don. 2014. The Development of Old English: A Linguistic History of English vol 2. Oxford University Press
  • Salmons, Joseph 2018, A History of German: 2nd Ed., Oxford University Press

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巷の英語教員・語学人間
2018-2020年にかけて存在したサイト『やるせな語学』をリニューアルして復活させました。いつまで続くやら。最近は古英語に力を入れています。言語に関する偉大な研究財産を、実際の学習者へとつなぐ架け橋になりたいと思っています。
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