英語は「衛星枠付け言語」
Tom walked to the station. という英文があります。この文の日本語訳はどのようになるでしょうか。自然な日本語にするなら「トムは歩いて駅へと行った」という訳がいいでしょう。ここでよくよく考えてみると、あれ、《walked》と「行った」では、述語動詞が違う?
英語では walk が述語動詞ですが、日本語では「行った」を述語動詞にし、walk に対応するのは「歩いて」というおまけのような言い回しになっています。この違いについて今回は考えていこうと思います。
この記事の後半ではややマニアックな動詞の意味論に踏み込んでいきますが、まずは一般の学習レベルで役に立つ部分を述べておきましょう。
今回の話で、英語学習者が知っておくと良い点は次の2点です。
冒頭述べたように、Tom walked to the station. の訳は「トムは歩いて駅へと行った」の方が自然ですし、適切です。英語の walked が日本語の述語「行った」には対応していません。無理矢理に walk を述語っぽくして「トムは駅へと歩いた」という日本語にするのも不可能ではありませんが、少しだけ不自然な感じを受けるのではないでしょうか。別の例を挙げてみましょう。
Tom walked to the station.
①トムは歩いて駅へ行った。
②トムは駅へと歩いた。
Tom flew to Tokyo.
①トムは飛行機で東京へと行った。
②トムは東京へと飛んだ。
Tom drove to the park.
①トムは公園へと車で行った。
②トムは公園へと運転した。
②は直訳として正しいけど、なんか日本語として…
ここに挙げた英文の訳として、②よりも①の方がずいぶん自然で適切な日本語に感じられるのではないでしょうか。いずれも②の方が英語の動詞を日本語でも述語になるように訳していますが、そうすると自然な日本語にはならないのです。このように、英語と日本語では、移動と様態(どのように移動するか)の表し方が異なる場合があるのです。
また、英語で移動を表す動詞と《to前置詞句》をセットで使うと、通常その場所への「到達」までを意味に含みます。つまり、Tom walked to the station. では、トムが歩いて、実際に駅に到着したこともまでを述べている文です。途中で引き返したり、単に駅の方向に向かって歩いて別の場所に行ったような時は使えません。これも上の例の②の直訳調の日本語では表せていません。
もし英語で、純粋に移動の方向だけを表すなら、通常 to ではなく、toward という別の前置詞を使います。この点も英語の知識として知っておくとよいでしょう。
Tom walked to the station.
トムは歩いて駅へと行った。(駅へと到着したことまでを含む)
Tom walked toward the station.
トムは駅へ向かって歩いた。(駅の方向に歩いたことのみを表す。駅に到着したかについては中立的。)
ここからは、前節で述べたような言語間の違いについて、より専門的な見地から検討していきます。動詞の意味を細かく分析して意味の表し方を探る分野を語彙意味論と呼びます。ここではこの分野の極めて優れた入門書である出水(2018)で紹介される、Talmyの用語を拝借しながら、移動事象を表す動詞の意味分析をしていきます。一般向けに簡略化した説明にしているので、さらに詳しく知りたい方は、出水(2018: 130-155)を参照してください。
Tom walked to the station. のように、移動を表す文においては、「駅へと歩いて行った」の部分を大きく捉えて一つの事象と見なすことができます。この場合、より回りくどく言うと、「トムがある場所(駅以外)にいて、歩くという方法で駅という場所に移動した」という出来事全体を一つの大きな事象と捉えます。この大きな出来事(i.e. 出来事の全体像)はマクロ事象(macro-event)と呼ばれます。
マクロ事象という大きな出来事は、語彙意味論の世界では、「駅に行った」というメインの部分と、「歩いて」という様態を表す部分に細分化できます。メインの部分はマクロ事象全体のあり方を枠にはめるという働きをするため、枠付け事象(framing-event)と呼ばれます。一方、「歩いて」の部分は、様態を表す外在的事象として区別されます。
マクロ事象
↙ ↘
枠付け事象 外在的事象
駅へ行った 歩いて
(メイン) (様態)
移動を表すマクロ事象のうち、メインとなる枠付け事象を、日本語では「駅へと行った」という動詞句で表します。一方で、英語では、動詞ではなく、《to the station》という前置詞句で表します。このような前置詞句は述語動詞に対する修飾語ということで、衛星(satellite)と呼ばれています。中心となる述語動詞に対して周辺的な修飾語というニュアンスからつけられた名前です。
日本語は枠付け事象を述語動詞が表し、外在的事象(様態)を従属要素で表すため、動詞枠付け言語(verb-framed language)と呼ばれます。一方で、英語は枠付け事象を前置詞句という衛星が担い、動詞が外在的事象(様態)を表します。こういった言語を衛星枠付け言語(satellite-framed language)といいます。
以上まとめると、次のようになります。
動詞枠付け言語 | 衛星枠付け言語 | |
例 | 日本語、フランス語、スペイン語 etc… | 英語、ドイツ語 etc… |
枠付け事象 (メインとなる事象) | 文構造の主要素である主節の動詞で表す | 文構造の修飾語である前置詞句などの要素で表す |
外在的事象 (様態) | 修飾語、従属節などで表す | 文構造の主要素である主節の動詞で表す |
「衛星」の反対(?)だから、「惑星枠付け言語」と言いたいところだけど、「動詞枠付け言語」という無難な名前にしたんすね。名が体を表しております。
このように見てみると、主節の動詞の役割が、日本語と英語でちょうど逆になっているのがわかります。これが前節で見た、日本語と英語の間に、移動事象の表現の仕方が異なる背景です。そもそも枠付け事象の表し方にこのような根本的な違いがあるため、冒頭の英文を逐語訳しても自然な日本語とはならなかったのですね。
一般の言語学習レベルでも、疑問に思うようなことがあると、少しだけ専門的な内容に踏み込んで考えてみるとこのように何やらオモシロい世界が見えてくるかもしれません。今回は以上です。この記事の内容についてさらに詳しくは参考文献の書籍に当たってみることをおすすめします。
- 出水孝典(2018)『動詞の意味を分解する 様態・結果・状態の語彙意味論』(開拓社)